実力2。

親愛なるあなたへ

一つ前に少し厳しい記事を書いてしまったのですけれども、実力や才能というのは、原点は少なからず本人に自然に備わっているものなのです。

どんなに才能がないと思っていても、みんなにこれは必ずあるのです。

何度も私個人の話になってしまって申し訳ないのですけれども、たとえば私であれば、「難しい物事を分かりやすく説明する能力」があるのだと言われます。

全く分からなかったのですが、最初の会社の評判で初めて気づきました。

これはどういうことだろう、と思い返してみると、実は私は昔から物事を理解するのがすごく遅い方でした。

「飲み込みが悪い」ということですね。

だから、学校の勉強でもそうだし、ピアノやスポーツや、何か物事をするときにどうしても人より遅れをとっていました。

そして、うちの父親は非常に頭のいい人でしたから、「分からない人の気持ち」を分かってもらえない。

何かを教えてもらうときに、向こうからすれば悪意はないのでしょうが「どうして分からないんだ」となります。

そして理系特有の家系かどうかは分かりませんが、そんな父親に何か話をするときは「相手が納得するように」しゃべらなければならなかった。

私にはそんな生い立ちがあります。

するとそんなことを繰り返していくうちに、無意識に「分かりやすく説明する脳の使い方」が育ったようなのです。

こういう生い立ちは一見「悪いこと」「嫌なこと」ですよね?

でも、それが能力開発であることが分かった。

人は一人残らず何かしらのトラウマやコンプレックスを抱えて生きています。

本当はそれが「実力のもと」であるという。

日本には、「梅干し」というなくてはならない食材があります。

昔、梅というのは酸っぱくて食べられたものではなく、「食材」とは程遠いものでした。

ところが日本人はすごいですね。

あの酸っぱくてどうしようもない梅を、なおかつ塩につけて、梅干しという国民食にまでしてしまった。

神様は直接才能をくれないときもあります。

でも、「才能に変えるもと」をくれるから、それが自然に実力に変わっています。

誰にでも、これはもう一人残らず、必ず隠れた才能がありますから是非思い出しみてはと、私は思うのです。

by You