お金の英才教育。

親愛なるあなたへ

お金持ちを研究してお金に関する真実をいろいろ書いてきたのですけれど、99%の人はお金に対して偏見・劣等感を持っています。

もちろん飛び出す以前の私も例外なくその一人でした。

だからこそ分かるのですけれど、99%の人は自分では偏見・劣等感を持っていないと思っています。

冷静にお金を捉え、管理していると確信しています。

でも本当は偏見・劣等感の塊だから、お金に関する真実を多くの人が知らないのです。

「99%」という数字はここではイメージではなく、計算するとナント100人に1人は何億というお金を持っている国が日本であるというデータが。

そこで、その99%の人が何を勘違いしているかというと、簡単に言うと「不労所得がいけないものだ」と思っています。

つまり、働いた分しかお金をもらってはいけないと思っている。

中には高給取りのエリートサラリーマンにもこういう人がいて、「ほとんど働いていないし、大したことしてないのにこんなにもらっていいのかしら」と言う。

これが間違いである。

間違いというのは、お金に愛されるには、間違い。

そして、今の日本の不況を立ち直らせるには、間違い。

その概念で幸せであれば、もちろん全く構わないのです。

お金に関しては理性的に、論理的に捉えることが大切です。

多くの人はお金の話になると急に拒否したり感情的になるからお金の真実が見えてこない。

大分前にも何度か書いているのですが、まず、お金持ちというのは「システム」「仕組みづくり」でお金を稼ぎます。

お金が入ってくる道を作る。

自分が働かなくてもお金が入ってくる道を作る。

これが不労所得です。

そして、何故多くの人が不労所得に抵抗感を示すかというと、ずばり、「ズルい」と思うのである。

「一生懸命、それこそ過労死する重圧にまで耐え、身を粉にして働いている人がいる中でなんだそれは」ということになるのです。

これは、言葉が悪くて申し訳ないのですが、経済というのが全く分かっていない、経済観念ゼロの人間が言う言葉、そして今の日本がこれだけ不況になってしまった一番の原因である「雇ってもらえれば何とかなるという、企業に寄りかかってきたサラリーマン意識」としか言いようがありません。

論理的にいきます。

まず、今の世の中というのは資本主義社会です。

これを変えたいどうのこうの、では話が進みません。

まず事実を客観的に受け入れる。

今は、資本主義の世の中です。

そして、この資本主義社会では「世の中に経済価値を与えた人間ほどお金が入ってくる」という仕組みになっています。

労働に対してお金が支払われる仕組みなのではありません。

あくまで、「価値」を提供した分に対してです。

すると、労働に対して支払われる賃金は何かというと、その労働に見合った価値があるわけです。

だからエリートサラリーマンで少しの仕事で高給をもらってる人は、その少ない仕事量にものすごい価値のある内容がつまっているのである。

とても他の人にはできない、もしくはそれをすることでものすごい世の中に貢献している。

低賃金というのは、厳しい言葉で申し訳ないのですが、そういう価値なのです。

簡単に言うと、誰でも交換が可能であるという。

気分を害してしまったら申しわけありません。

もちろん私は仕事に貴賤は一切つけません。

今は、あくまで経済レベル、お金の真実のレベルで話をしています。

お金は、世の中にどのくらいの価値を与えたかによって決まってきます。

すると、システムというのは、それだけ多くの人に価値を与えています。

人間が一人でできることは知れています。

例えば、荷物を一人の人間が受注し、梱包して、発送する、というのはとても重労働ですが、せいぜい一日数件から数十件程度しか受けることができないかもしれません。

ところが、パソコンのプログラムを組める人で、手伝ってくれる知り合いが多く、それがまた全国各地にいるとなると、一日に何百人、何千人というお客さんの役に立つことができます。

その人はプログラムを一回組んで、後は知り合いの人にお任せしているので、労働という形では全く働いていません。(サーバーメンテナンスとか細かい話は抜きにして・・・)

それでも、一人で黙々と重労働をこなしている人より、何百倍も何千倍も稼ぐことになります。

「自分は一生懸命お客さんに尽くしているのに」と言いながら一人で黙々とやってる人よりも、何百倍もの人に喜ばれて、しかも人を雇うことによって雇用を創出しているのですから、世の中への貢献度はすごいものになります。

分かりやすい例で言えば、これが「価値を創出する」ということです。

じゃあ政治家の汚職で巨額のお金が動いているのはどうなるのか、という質問に対してですが、まず悪いことしようが何しようが、政治家という日本を背負って立つということ自体にものすごい価値があります。

ただし、いくら資本主義社会でも、長い目で見ていくとそういうのはいずれ崩れていく。

ヤクザはどうなるかというと、私はそういう世界は全く分からないのですが、もしかすると何かの価値が存在するのかもしれません。

いずれにせよ、価値というのが世の中の基準にあり、そこに合わないものは長い目で見ればだんだん淘汰されていくということです。

では、この資本主義社会がいいのか、というと、これもいずれ転換の時期は必ず来ます。

諸行無常ですから、いつまでも続くものはありません。

社会主義が失敗に終わって崩壊した。

そして資本主義社会が今である。

次に何が来るかというと、これも何度か書いているのですが、「自立的相互依存」という時代が来ます。

簡単に言うと、全員が経済に強くなり、価値を創出しながら労働やシステムその他を協力し合える時代が来るということです。

今日本は不況なのですが、海外では中国が伸びてきたりと、経済の世界水準がだんだん同じになってくる。

台湾は昔と違って今は物価が日本とほぼ大差がないくらい。

中国の場合は人口がものすごく多いので、それが上がるのは大変なのです。

今経済水準の高いところが低くなってきて、低いところが高くなってくる。

中国が終わったら今度は東南アジアとか、アフリカとかになってくる。

一気にではなくて、100年とか200年かけて、だんだんなってきます。

もちろん経済水準が高いままのところもあるし、低いままのところもあります。

それでこの自立的相互依存はどうやって始まるのですか、というと、今経済水準が高いところで低くなっているところ、つまり代表国・日本のように、経済のことを全く分かっていないようなところが焦ってお金や経済のことを学び始めるのです。

すると、一人ひとりがアイディアを考える力をつけるようになる。

価値の創出とは、アイディアのことです。

アイディアを考える。

日本は長い間「学校教育」で1のものを100にする力を極めてきたものですから、ゼロから創出する力が皆無なのです。

これはあらゆる物事と同じで、努力と経験で培うしかありません。

そのために今「個人の時代」が来ています。

以前から個人の時代、個人の時代と口酸っぱくなんですかというと、国家が自分の頭でアイディアを考え出そうとする糸口なのです。

集団で登ってきたこれまででは、アイディアを出すことはできない。

そこで個人でアイディアを出すようになり、それぞれがまず「一人勝ち」することによって自立的相互依存の時代が幕を明けます。

そのためにここ20年ちょいでパソコン、インターネット、携帯電話、スマートフォンなどデジタルネットワークの世界も一通り整いました。

今後も変化はあるでしょうが、IT関係は恐らくひと段落でしょう。

色々見ると、細かいことは20年ごとにシフトしているようです。

全ては流れです。

ですから、これから個人で成功する人がどんどん出てきます。

そして、経済の勉強をしない人はどんどん落っこちていきます。

これも経済や世の中の流れを知らない人は「一人勝ちはズルい」と言うのですが、だんだん自分が取り残されて「まずい」という状況にならないと、その人もやらないからそういう流れができているのです。

20世紀は戦争の世紀。

戦争が嫌いだろうがなんだろうが、みんな等しく頭の上に爆弾が降ってきました。

だから一生懸命戦い、逃げて、死を悲しみ、相手国を恨み、科学に対する諸刃の剣に恐れ慄く。

そのことによって戦争の悲惨さ、人の命の大切さを人類が学ぶのです。

そして21世紀は経済の世紀。

経済が嫌いだろうがなんだろうが、みんな等しく学ばないと大変ですよ、ということ。

全て流れです。

経済のことを分かっていない人で、この前一番面白いなと思ったのが、私は今無職なので「雇用保険」をもらってのんびり生活しているのですけど、そのことを何人かに楽しそうに話すと、ほぼ全ての人が「ムッ」とするのです。

私は全く正当にもらっているだけなのに、働きもせず自由に楽しそうに生活している私に対し「不労所得の嫌悪感」を抱いたのでしょう。

別に私が特別なのではなく、雇用保険はサラリーマンに等しく与えられるものなのですから、もし私の自由と楽しさが不満ならその人も辞めるかクビになればいいのですよね。

今の私は貯金が5万円くらいしかありません。

それでも私のストレスフリーな生活に嫉妬する、イキイキとした雰囲気に嫌悪感を抱くというのは、お金のあるなしではなく「不労所得はいけないものだ」という偏見が心の中に間違いなく存在しているからなのです。

でもそう思ってしまうのはその人が悪いのではなく、その家系、親、その親、そのまた親と、先祖代々ずーーっとなのです。

その考え、意識が受け継がれてきた。

それが正当なものとして植え付けられている。

そしてそれを覆すような考えを持とうものなら「家族を捨てる」という無実の罪悪感を担保に取られるのです。

お金がない家系もそうなのですが、特に危ないのが先ほどのエリートサラリーマンでお金に対する強い偏見と劣等感を持っている家系。

親がたまたまエリートで来ても、そのお子さんがエリートになるとは限りません。

当然エリートの道を進めないお子さんもいる。

私みたいに親が食費に糸目をつけないでいてくれた家系で育ち、何度も無一文になった人間であればたとえ大衆階級の前半生であっても「金持ちになってやろう」と思うのですが、そういう歪んだエリート家庭で育ってエリートになれないと、自分はエリートになれなかったけれどサラリーマンとしてお給料もそこそこの上に「お金は持つものではない」と教えて育てられるから、その受け継がれてきた歪んだ精神に反抗する気力すら奪われてしまう人もいるのです。

本当はエリートであればあるほど(もちろん代々お金がない家系もそうですよ)、きちんとお金の勉強を子供に教えるのが本当のことなのです。

そこで、そこで、です。

お待たせしました。

本題の「お金の英才教育」、という話です。

長かったでしょう。

前置きが長いということは内容はシンプルということですね。

お金持ちの子供がお金持ちになりやすいのには理由があります。

それは、「お金の英才教育」を受けているから。

ではお金の英才教育とはなんですか、というと、お金持ちは不労所得に対する偏見を取り除くため、何でもない日にいきなりお金を渡します。

誕生日や記念日ではダメなのです。

「何で今日くれるんだ」

「何で今日くれるんだろう」

「そうか、自分は自然にお金をもらえる存在なんだ」

これが子供にとって当たり前にならないといけない。

もちろん、働いてお金を得るということを教えるために、ちゃんと仕事をさせます。

どんなにお金持ちの家でも、必ず社会の仕事を経験させます。

ただ、それ以外に「働かなくてもお金が入ってくる意識」をしっかり受け渡す。

もちろん、お金に劣等感がある親がいきなり子供にお金を渡しても、そのお金には知らず知らずに「何か対価を求める意識」が入ってしまい子供もそれを感じるので、まずは親がお金の勉強をしっかりしてからではないとだめなのですけれど。

前置きと結論が99:1みたいになってバランスが悪すぎるのですが、何だかスッキリしたので、「筆者の我」でどうしようもないなと思いながら是非お読みくださるとお金も日本も喜ぶのではないかと思っています。

by You