親愛なるあなたへ
私は学校の勉強が大の苦手で、高校時代の成績も大変なことになっていましたから、ともすると心に大きな傷を負っていたのかもしれません。
「赤点」というのがあって、学校によって定義は違うようなのですが「平均点の半分」を意味しておりました。
「平均点以下」でもみなさんヘコむところを、赤点なんて取ろうものなら、という感じですね。
でも私のすごいところはその戦いから身を引いたこと。
赤点の半分に「青点」というのがあって、これは本当にそう呼ぶのかは都市伝説の域を出ないのですが、その青点前後で自らの美意識を確立していきました。
ところが、こんな状況でも個人的に学歴に対しては何故か劣等感を持たなかったのですね。
自分でも不思議に思うのですが、たとえば私の周りはみんな頭のいい人でしたから、普通なら嫉妬してしまうところを「すげーなぁ」と素直に受け入れてしまう。
普通、劣等感を持ってもおかしくない状況で比較的影響が少なかった。
私が大学院を出ているからだ、と思う人もいるかもしれませんが、世間の人が一つ勘違いしていることがあります。
いい高校や大学を出ると自尊心が満たされると思っているかもしれませんが、私が周りの人を見てきた経験では、いい高校、いい大学を出た人は「もっといいところ」と比べられるので決して自尊心は満たされないのです。
私の出た大学は世間的にはそこそこのところなのかもしれませんが、学生時代の周りの話を思い出してみると「どうせオレたち○○大生だし」と言ってる人が少なからずいたので、世間が思っているのと内情はかなり違うものなのです。
東大生なら日本ナンバーワンだからそんなことはないだろう、と思うかもしれませんが、東大の中にも学部でランクがあるらしく、そこでの比べ合いが始まる。
東大ナンバーワンでも、今度は世界のハーバードが引き合いに出されたりする。
どこまで行っても終わらないのです。
何故私が学歴に劣等感を持っていないのか。
それは、昔から「物事は楽しい方がいい」と知っていたからかもしれません。
私の実家は非常に「真面目な家系」でもちろん影響を受けてきたのですが、その中でも昔から「笑い」や「楽しいこと」を優先的に選ぼうとしていたように思います。
母親を笑わせるのが好きでふざけた動画を見せていたように思います。
今、塾で化学や数学を教えていて、私より優秀な先生はもちろんたくさんいらっしゃいますし、ともすると私より教えている生徒さんの方ができたりすると普通悔しく思うかもしれませんが、私は「相手が理解してできるようになること」が「楽しい」のでそういうのを感じません。
勉強も「好きな科目」だから出来・不出来が気になりません。
「楽しいことを優先すれば心の傷はなかったも同然」という真理を一つ覚えておくと少しラクになると思います。
by You