予備校講師のつきあい。

親愛なるあなたへ

予備校の先生というのは総じて自由人が多いような気がします。

たとえば某東〇ゼミナールの有名講師陣は「予備校界のヤンキー」と呼ばれるほどのものなので、その方々に限らず、予備校界で教鞭をとる人々というのは結構波乱万丈な「なんでもあり」状態の人生の人が多いようです。(まぁ筆者もその一人になってしまうのかもしれませんが・・・・)

そこでなのですが、メーカーの一サラリーマンであった時代と比較してみますと、日本の組織で働くというのはとにかくも「年齢」というものがついてまわることを思い出すのですね。

もちろん「立場上」とか「肩書」というのもあるとは思いますが、「自分より年上の部下を使うのに苦労する」というお話がある通り、年齢というのがどうしてもネックになってくる。

ところが予備校ではほぼ全員が個人事業主であり、利害関係がまずない(実力社会なので組織のような複雑な力学に限ってはほぼ皆無です)のも関係しているのもありますけれども、「年齢というのを気にしないところ」が非常に大きいような気がします。(少なくとも男性陣は)

それは筆者個人に限ったことではなく、ほとんどの先生が「お互いの年齢を知らない」、というか「知ろうとしない」のですね。

それが会話に如実に現れていて、もちろん外見などから明らかな年長者に対してはそれ相応の話し方というのはあるとは思うのですが、それでも年齢を気にせず完全な横並びで話す、もっと言えば、先生方も人間ですから当然好き嫌い、ウマが合う合わないもありますけれども、それも、肩書やステータスではなく、相手を一人間として判断している、というのを非常に感じますね。

好きも嫌いも一人間として。

組織の頃はどうしても人間性とはいっても、複雑な力学の中で自分の意志とは別の何かが働いてしまうのはどうしても否めないのは体験的感覚からほぼ間違いないでしょう。

仕事関係で、そういう友達、ではないですが、それでも大学時代のような、年齢を気にせず完全な横並びで相手を一人間として付き合うこの感覚はとても新鮮で楽しいものです。

by You