自由の切れ味。

親愛なるあなたへ

自分の身を守るために人から遠ざかる、あるいは距離をとる(それが物理的にであれ心理的にであれ)というのは非常に大切なことです。

「モラル・ハラスメント」という題材でこれまで幾度となく触れてきましたけれども、家庭であれ公の場であれそれこそ年齢に関係なく、世の中には「人の心理を操作しよう」とする人間がどうしてもいるものです。

もちろん経験を積めば積むほどそれはより「巧妙で意識的」になろうかと思います。

ただ経験上、若年者、それがたとえ学生であってもこれは残念ながらいらっしゃる。

「人の操作」の根底に立つものは「依存心」でありますから、それならば年齢に関係ないなと思われるのではないでしょうか。

そういう人間につかまってしまったときにも非常に大切な方法論にはなるのですが、もう一つ、そういう人を寄せ付けない、あるいは見極めるにも必要な技量になろうかと思います。

そのあたりはいい人をやめて前後を比べた経験上分かってくるものなのかもしれませんけれども、とにかく「鋭い切れ味」というのが優しい人やいい人には必ず必要なのですね。

切れ味を持っていないとですね、不思議ですがそういう相手が近づいてきてしまいます。

疲れてしまいますしそうではない人も世の中にはたくさんいますから常に切れ味を示す必要はないのですけれども、何でか分からないけど疲れたり自分の心を塞ぐような人間が近づいてきたときに、そこに有刺鉄線のような鉄柵を「ボン!」と立てるとそれ以上相手は心理的に踏み込んできません。

物理的な距離は目で見えるので分かりやすいですが、心理的な距離というのは誰の目にも測定できませんから当事者同士しか分からない(もしくは当事者同士であっても無意識でやっている、これが以前ご紹介した加藤諦三先生の「モラル・ハラスメントの心理構造」という著作でもおっしゃっています)ですから、そのメンテナンスというのは常に意識しなければなりません。

このメンテナンス方法が非常に難しく、物理的な距離であれば引っ越せばいいとか転職すればいいとかいろいろあるのですが、心理的なものは目に見えずまた多様性に富んでいますから、第三者から「こうすればいいよ」というのがなかなか見つからない。

悪意から人を切るのではありませんが、相手が誰であれ、自分の身を守る(今回は世間一般がいう「保身」とは別のニュアンスで使っています)ために人を振り払うという切れ味は幸せになりたいならば必ず必要。

これが「切り捨てた」という心理的な負荷になったとしても、それはあなたが優しい人間であるからであって、そこに正当な理由、自分の心が塞ぐようなものをはねのける正当な理由があるのであればこれは相手がかけようとしているしがらみの綱を断ち切る一閃であろうと思うのです。

誤解を恐れずに言えば、人を切り捨てることが気持ちのいいことだというスッキリ感が分かるようになれば「いい人を脱却」して自由を選択できるようになったと、そのようなことだと思うのですね。

by You