親愛なるあなたへ
多くの人が不自由でも潰れないのは、承認欲求を持っているから。
人間は本当はすべてのしがらみから自由になることを心の奥底で願っている。
そして、「自由それ自体」が「自分の存在」であることを確認しようとする。
ところがそれが叶わないと、そのしがらみの中で自らの存在を確認したいと思うようになる。
そのしがらみには全ての人間関係も含まれる。
「不自由」つまり「他者との関係性」の中から自分の存在意義をもっとも見出しやすい最初の手段。
それが承認欲求。
「自我の生まれ」である。
赤ん坊は自由だ。
赤ん坊には承認欲求がない。
自らの生理作用を満たすために要求はするけれども、褒めてほしい、認めてほしいとは思っていない。
自由でいる、ただその自分自身を受け入れている。
しかし大人に近づくにしたがって不自由さが増してくる。
我々は思春期の子供たちの承認欲求を笑うけれども、理論的に考えれば実は我々大人の方が承認欲求は強い。
それは社会に出るといわゆる不自由さが増す人が多いから。
承認欲求と自由は反比例の関係にある。
だから承認欲求で苦しんでいる、あるいは承認欲求を満たしたけれども実は魂は満たされないことを知ってしまったときは、どうしたら自由になれるか、それを考える。
金銭的、社会的、精神的。
どんなアプローチで、どんな小さなことでもいい。
それを考える。
そうして自由を求めればそこから一歩ずつ解放に向かうことができる。
これは断言できるのです。
by You