派生。

親愛なるあなたへ

世の中を渡るには、一つのものと言っても実はいろんな「派生」があるのだと知っておくだけで、結構見方や考え方、あるいは心持ちが違ってくるように思います。

予備校で仕事をしていて今の画一的な学校教育というものが、社会に出ても何年も引きずられる、それこそ死ぬまで影響が残ってしまうのは否めない感があります。

私は少し変な人生を歩んできてしまったので、大学院までアカデミックを一通り経験した流れでメーカーに就職後、全てを捨てて契約社員、アルバイトなどで15社まわり、種類で言っても15種類くらいの仕事をして本当に色んな人達を見てきたうえで現在個人事業主をしてますから、ある程度その「足かせ」は外れているように思うのですが、なかなか普通はそうはいきませんよね。

ただ、経験はなくとも、知っておくだけでかなり違うように思うのです。

たとえば、私は独立してますが、独立と一口に入っても、自分で全部企画から仕入れ、営業までやる経営なのか、あるいはフランチャイズ経営なのか、専属の下請けいわゆるフリーランスと呼ばれる経営なのか。

経営一つとってもいろんな立ち位置があります。

独立に向いてるとか向いてないとか、これは一口に言えるものではありません。

最初は自分で確定申告書を書くとか、必要ならば青色申告のための複式簿記を学ぶとか、そういうところは共通なのかもしれませんけれども、立ち位置によって向き不向きが違ってくる。

例えば私の例で言えば、全部自分で決めて従業員を雇ってという「独立開業」は非常に不向きでそれをやるくらいだったら雇用された方がいいのですけれども、フリーランスという立場だと180度逆転して天職のように感じます。

自分の経験でもそうですし、私は占いも好きで趣味でやってますからそこからもそういう結果が出ますね。

自分の適性についてもそうです。

「見られる仕事」といっても、自分自身が見られるのか、それとも自分の作品が見られるのか、あるいは自分が育てた部下や弟子が注目を浴びるのか。

「しゃべる仕事」と言っても、接客なのか、営業なのか、コンサルティングなのか。

「教える」と言っても、個別指導なのか、集団授業なのか、セミナー形式、講演形式、あるいは対象年齢が子供なのか、大人なのか、もしくは動物なのか・・・

探り出すとキリがありませんね。

なので、「こういう仕事がいい」というざっくりとした目標を持った後、それを試してみて上手くいかなかったからと言って必ずしもダメということはないのですね。

ただ分岐が間違っているだけの可能性がある。

もちろんそのためには色々試してみるしかないのですが、画一的な社会で育ってきた我々日本人が「挑戦」という言葉を恐れるのは、そういった「派生」という意味をよく知らないだけだとそう思うんですね。

派生という現実があるのだと知ること、それが勇気の一歩になると思うのです。

by You