気学による自由とは。

親愛なるあなたへ

自由人を名乗る筆者が方角や土地・間取りに縛られる風水・気学の活用に余念がないのは明らかな矛盾点に映ると思われます。

自由を一番縛られる方法論を何故自由人は実践するのか。

気学や風水を用いて運を上げたりするのを「そんなに大事なこと?」とおっしゃる人もいるのですが、それを必要としない方もいるかもしれませんね。

旅行や引越しなどの行動制限、家相や風水においても細かいところを気にする分野なので「そんなに縛られたら何もできない!」という悲鳴が聞こえてきそうです。

そういうものに「縛られ」て果たして幸せになれるのか。

そこで思ったのが、それはきっと「自由の対象」が違うだけなのかなぁと。

私は自由人ですが、基本理屈家なので「理論的に正しく結果が出ているなら」、やる。

そのための自由の犠牲は厭いません。

何故自由の犠牲を厭わないかというと、すごく卑近なことを言えば「リターンがあるから」です。

上手くいくからですね。

運の助け、天の助け、神の助けによりどうがんばっても100%以上は出せないところに120%のことが起こる。

するとその先に「思ってもいなかった自由」がある。

気学による行動の意義と言われれば、今目の前に見えてる自由ではなく「現在は感ずることができない、目に見えないもっと深堀りした自由に焦点を当てること」、そういうことに違いないと思うのですね。

p.s.

その深堀りした自由とは何か。

それは人それぞれだと思いますが、金銭的な自由や、恋愛の自由や、仕事の自由(独立だけでなく裁量が大きくなるなど)、もっと大きく言えば魂の自由、すなわち自分らしい生き方が見つかることによる心の解放ということでもありましょう。

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