教えとごまかし。

親愛なるあなたへ

物を教える仕事をしているとその人の態度によって「教える」のと「ごまかす」のとどちらがよいだろうかと天秤にかけることがあります。

事の善悪は別として、実務時間に制約がある都合上、どうしても全員に同じサービスをしてあげることが難しいケースがあります(もちろんシステム的な問題もあるかもしれませんが)。

すると、本当は物事を「分かってる」と言ってる人全員に「本当に分かってるかをチェックするサービス」をしてあげたいのですが、そのサービスをしたときに「素直になる人」と「不機嫌になる人」がいる。

素直な人にはそのときの時間が許す限りサービスをしてあげられるけれども、不機嫌になる人には「すごくできてますよ!完璧ですね!」で終わらせる場合がある。

何故かというとそれはその不機嫌な人の気分のフォローにこちらの時間もエネルギーも余計使うことになるから「経済活動」「より多くの方へのメリットの享受」というお互いのwin-win関係両面から考えた場合、現実的にはどうしてもそういう対応が最適解になってしまう。

不機嫌になる人にサービスしてもその人は不機嫌になるだけで事の本質は受け取らないし、そのフォローに時間を割かれた分、他の人のサービスの質や時間へ多大な影響を与えてしまいこちらも無駄なエネルギーを浪費するという、誰にとってもメリットが出なくなってしまいます。

そういうのを何度も繰り返しているうち、物を教わる、あるいは知るときの態度というのは素直さというか謙虚さというか、「自分のプライドを捨て去る」ことが実体や本質的なメリットを得るためにいかに大切なのか改めて実感します。

「いいこと聞いたらすぐ実行!」を日頃の合言葉にしているのはそういう背景もあります。

結局「自分のプライド」が「本質や実利益を得るチャンスを逃してるんだ」という裏事情を知っておかないと、「すごいですね!」「素晴らしいですね!」「そうなんですか!」という耳障りのいい言葉や対応が「ごまかしである」というのに気づけず自分がすごく損をする、という経営者・合理主義者ならではの感覚というか、そういうのが一つの処世術であろうと思われるのですね。

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