親愛なるあなたへ
熊野速玉大社に行ってきました。
神倉神社(かみくらじんじゃ)という「熊野神が降り立った旧社地」が近くにあり、その後現在のところに社が建てられたので地名を「新宮」と呼びます。
朱色が映える大変に美しい作りで、社殿以外にも天然記念物に指定される御神木の「梛(なぎ)の木」があったりとパワースポットとしてはもちろん、魂がもう一度洗い直される体験をする霊験あらたかな地であります。
熊野は美しい。
かつて人々は熊野灘の向こう、そこには浄土があると考えた。
熊野は「蘇りの地」。
その蘇りの地を象徴するかのようなもう一つの現象がここにあり。
11年前に来た時には境内になかった「さざれ石」の記念碑。
さざれ石はたくさんの小さな石をコンクリートか何かで乱雑に固めたように見えるのですが、この状態がこの大きさに「自然に」形成されるには「数千万年の歳月」を要するのだそうです。
さざれ石といえば「君が代」ですね。
「君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」
この歌はもともと千百年ほど前の「古今和歌集」に「読み人知らず」の歌として見られたものだそうで、その意味は「日本国家の揺るぎない繁栄」を示すと言います。
実はその続き、2番があって、
「君が代は 千尋の底のさざれ石の 鵜のいる磯と あらわるるまで」
さきほどご紹介したそのさざれ石、この2番目の歌詞のごとく令和2年2月2日の早朝、突如熊野灘の海底から新宮市王子ヶ浜海岸に打ち上がり発見されたそうです。
かつてのこのあたりの地名は鵜殿村(うどのむら)(現在、王子ヶ浜から熊野川を隔てた新宮すぐ隣にある三重県紀宝町鵜殿)。
数千万年の歳月をかけた大自然の芸術が「偶然、2という数字を揃えて」「偶然、鵜という関連性で」「偶然、日本の繁栄を込めた象徴として令和の初めに」しかも「海岸に打ち上げられる」という物理学的に極めて不可思議(ものすごいデカくて重いです)な現象はまさに「神秘」。
今はコロナだなんだ、おかしな事件がなんだと荒ぶ風の中、蘇りの地に寄せられた繁栄のさざれ石。
私はこの祝福がもたらされた令和の時代、素晴らしいものになると、そういう世代として生きてみせると、あらためて自分に、この地に、そして祝福をくださった神さまにそうお約束したいと思いました。
by You