日記を書く効果。

親愛なるあなたへ

長いこと記事を書いていて一つ分かったことがあります。

それは文章・日記を書くと「自分のことがよく分かる」ということですね。

人間は「他の人に興味がある」と思っていてもそれは「仮の姿」であって、「本当は自分に興味がある」。

世の中に「あなたのためを思って」という言葉があふれているのに、モラル・ハラスメントをはじめとする巧妙に隠された問題が存在するのはその典型例だと思います。

人間は自分に興味があり、それを知らずに他人に興味がある、と思い込んでいると問題が起きてくる。

もちろん人によって魂のレベルは違いますから最初から本当の意味で他人に興味を持てる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし小生をはじめとする大概の人間に最初に備わる承認欲求、あるいは得られた物や社会的地位などによって「自分に価値がある」という想いの追求は、要は「自分はどういう人間なのかを知りたい」ということなのですね。

日記は簡単に言うと自分との会話。

「自分のことは実は自分が一番知らない」と言いますがまさにその通りで、よく他人からの指摘や指導によりそれが花開くとする説もあるのですが、個人的な経験としてはダイレクトに自分と会話する「日記」が一番効果があると思います。

ジョハリの窓」によれば、前述の「他人からしか分からない自分」もいるはずでありますけれども、それでも他人からの視点にはその人のバイオリズムや性格、あるいは思い(良い思いならいいのですが様々な思惑や魂胆、悪意なども含まれる可能性がありますね)などによって真実が曲げらてしまうことも、残念ながら現実としてあります。

三者的視点は客観性を伸ばす絶対的な指標ですから活用できることに越したことはないのですが、そういった不確定な要素を排除して自分を知ることができるのが日記の良さなのですね。

以前、一生懸命子供を育てていらっしゃる方とお話したことがあって、ご子息様と色々あり悩んでいらっしゃったようなのですけれども、「一度育児をやめてみよう思ったら肩の荷が下りた」とスッキリした顔をしておっしゃっており、そして最後におっしゃったのが「今は自分に興味がある」と。

失礼ながらモラル・ハラスメントの典型例で「子育てという大変なことを乗り越えた自分」「成長した自分」「立派にお母さんをやってる自分」による承認欲求や自分の価値への転換が真の目的であり、ご子息様への「愛情」ではないのですね。

自分に興味がある、と最後におっしゃっていたのがその証明でもあり、先に述べた「人間は自分に興味があり、それを知らずに他人に興味がある、と思い込んでいると問題が起きてくる」。

その方のように気づけたのは非常に素晴らしく、中には気づけないまま一生を終えていく方が多くいるのも事実です。

なのでまずは自分に興味があると認めること。

そして日記を書いてみること。

かくいう私も記事の書き始めは色々「恰好いいこと」「もっともらしいこと」を言ってましたけれども、結局は「自分のことを知りたい」「自分に興味がある」のだということですね。

自分のことが分かれば自分のことが好きになる。

そして本当に「他人のため」の作業が始まります。

そのために是非日記を書いてみてはいかがでしょうか。

by You