親愛なるあなたへ
良いものを見たときに「競争心」で見ると不幸になる。
でも「仲間だ」と見ると幸せになる。
個人的な感想として、大きな家を欲しくはないけれどそういうハイソな環境に身を置くのはとても気持ちがいいですね。
西宮北口には「中豪邸」くらいの家がいっぱいあって、私のマンションの近くにもポコポコあるのですが、西宮北口駅へ向かうとき少し遠回りになるけどわざわざその家々の横を通って行くという怪しい行為を(笑)
大ベストセラー「嫌われる勇気」にもありました、「他者の幸福を『わたしの負け』であるかのようにとらえているから祝福できない」「『人々はわたしの仲間なのだ』と実感できていれば、世界の見え方はまったくちがったものになります」。
「人間関係のステータスシンボルと自由人の仲間の範囲」という記事でも書きました、自由人が一人でも寂しくないのは「仲間の範囲が広い」からなのですね。
自由が競争を越える一つの確実な手段です。
自由でいることで「仲間の範囲」が広がる。
私は健全な競争も大いに推奨しますからそのあたりの矛盾はよく分からないのですが、「自らの価値判断を左右させるような競争」からはおそらく身を引く癖がついたのかもしれません。
そのコツは、自分が楽しいと思うことを見つけること。
楽しいと思うものを見つけられないと競争の世界に入っていく。
どういう学歴を持っている、どういう企業に入った、年収がいくらだ、どういう彼女・彼氏、奥さん・旦那さんがいる、子供が何人だ、その子供がどういう成長を遂げたか、そして先の「どういう家に住んでるか」などなど・・・
競争から身を引いて周りを仲間だと思う手段は、楽しさと自由。
おそらく、これしかないのではとさえ思います。
楽しいものを見つけて、自分なりに社会を勉強(法律や税金の知識、資格、転職ノウハウ、人脈作りなど)して一人放り出されても生きていけるぞ、という自由を得る。
さらにそれが夢や天命・使命につながれば100点満点。
非常に難しい命題であると思いますけれども、平凡な私であっても人様の豪邸を自分の仲間として祝福できるようになった究極の方法でもあるのです。
by You