親愛なるあなたへ
外出時にマスクを外すようになって思ったことがあります。
それは、丸2年以上マスクを着けていると「マスクを外すのに抵抗感を感じる」。
外で素顔をさらす、という抵抗感ですね。
隠し事に耐えられない基本オープンな性格の筆者でありますが、「慣れて」しまうと不思議と抵抗感を感じますね。
しかしそこはアンチの精神が働き、周りがマスクしてようが何しようが「なにくそ」と外す(笑)
コロナでマスク生活を始めて少し経った頃「そうなるだろう」と感じてはいたのですが・・・。
それに関する記事を見つけ「なるほど、思春期さ中の若い方ならよほどだろうな」と思いました。
ここにも書かれている通り、マスクを外せないのは「マスクの下の相手の顔を勝手に想像し、想像と違ったときの違和感を他の人も感じているだろう」という心理からですね。
特に立体マスクは鼻の部分が直線的に作られ全体としてシャープな印象になりますから「美人度が増す」、という内容も気持ちは分かります。
それではこれからずっと「だてマスク」が続くのかというと、基本的にはまた元に戻るだろうと考えています。
マスクを外す割合がだんだん増えてくれば、逆に「マスクをしてるのは何かしら理由があるのだろう」と周りが勘繰るようになる。
先の「マスクを外したときに相手からどう思われるか」という心理と「マスクを着けたままで相手からどう思われるか」という心理が交錯する。
後者の心理が勝ったときにマスクを取るようになると思います。
もちろん最初の一歩はものすごく勇気がいるのですが(心理的な理由があって着用しているのですから)、一度素顔をさらしてしまえばなんでもありません。
コロナ前と「これまでと同じ」なのですから。
それに「マスクを着けたままで相手からどう思われるか」という心理が勝つということは、それだけマスクを着けていない人が絶対数的に多いのですから、すぐに「多数派の仲間になる」ので大丈夫です。
勇気がいるのは最初の一歩だけ。
歴史に目を向ければ以前スペイン風邪が大流行したときの日本人が全く同じ心理状態であったことは想像に難くありません。
いくら科学技術が発展し世の中が変わったとしても、先日ご紹介しました『国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶』で著者の加谷珪一さんが語られている通り、日本のシマ国体質がそう簡単に変わるものではありません。(この本は日本人の本質を突いた素晴らしい本だと思いますので、ご興味ある方は是非ご一読されることをおススメします)
そのスペイン風邪以降、「コロナ前まで我々が外でマスクをつけていたか」というとそんなことはありませんね。
それと同じ流れが今回も起こると思います。
歴史は繰り返す、という言葉があるようにですね。
ただ、マスクがこの2年で市民権を得たことで良いことがあって、先にご紹介した記事の中にも書かれていました「表情を読み取られず、話したくないアピールにもなる。先生に怒られてもダメージが少ない」「顔を覆って自己防衛し、コンプレックスや自信のなさをカバーする」と。
人から見られるのが怖いという心理をマスクでカバーすることができる、というのは本当だと思います。
また不思議な話で言えば、外からの「波動」をマスクで防御する、また自らの波動をマスクでブロックする、これは筆者も経験があります。
コロナになる大分前に書きました「マスクの効用。」という記事にもその旨がありまして「気が抑えられる」と。
なので、将来だんだんとマスクをする割合が少なくはなれども、何かしらの理由があって「外からたとえ勘繰られたとしても」マスクをして外出する方が当人にメリットがあるのであれば、一定数残ったマスク派の共通認識として「仲間がいる」と思えればたとえば家で引きこもるよりも外の世界へ一歩を踏み出せるキッカケになるのでは、と思っています。
「基本的には」また元に戻る、と先ほど言いましたが、完全に全員がマスクを外した状態になるのは、これはスペイン風邪時代と異なる現代特有の人間関係(代表的なのはSNSによるものですね)がありますから、時間はかかると思います(思春期の世代に関しては特に)。
『若者のマスク依存を「対面コミュニケーション不全の一つ」と指摘。人との直接的なやりとりに苦手意識を持つSNS世代の「新たな現代病」になりつつあるとみる』と記事にはあったのでが、私はそうは思わず前述のように有効に活用していけばいいと思います。
マスクを外す方向には自然と向かうことになるでしょうし、またマスクを着ける層が一定数存在する期間が長引いたとしても「社会活動上非常に有用なツール」が市民権を得たわけですから、どちらであっても心配は全くの無用ということだと思うのですね。
by You