自信にこだわらないのが自信である。

親愛なるあなたへ

よく「自信を持ちたい」ということが言われますが、実際の自信は外から見て分かるようなものではありません。

たいていビジュアルから伝わる自信は「自信があるという雰囲気を出したい」という「承認欲求」である場合がほとんどです。

私も過去自信にこだわっていた頃の記事を見るとそのような文章が散見され(飛び出した頃は正直どん底で自信がなかったものですから)、確かにそのときは自分に自信があるという「外からの見た目」にこだわっていたようにも思います。

自信とは「自分を信じる」ということなので外からの見た目は関係ないのですね。

逆説的にはなりますが、当時の私で言えば外からは恐らく自信がなさそうに見え、先に自分でも「自信がなかった」と断言しているほどですが、それでも飛び出してしまったということは「自分を信じてた」という以外に説明がつきませんから自信があったのかもしれません。

そうするともはや何を持って自信と呼べるのかが分からなくなり、結局自信とは結果論であり、そこにこだわる必要がないという事実が見えてきます。

傍からは威風堂々・自信満々のように見えても次のタイミングで窮地に迫られると急に自信をなくしてしまったり。

そういうことはどんな成功者でもどんなにテレビで輝いている人でも起こるものです。

我々がビジュアルや自らの感覚を通して感じる自信とは一過性のものに過ぎません。

自信・自分を信じるとは「自分を好きになる」と同義であるため、そこに置き換えると分かりやすいと思います。

自分を好きだと「認めてほしい」というのが世間一般で言う「ナルシスト」に相当するのでしょう。

彼ら・彼女らの心の根底にあるものは、自分が好きなのではなくて「自分を愛しているということを知ってほしい」「自分に価値があると思っていると知ってほしい」という承認欲求です。

その場合は自分全体ではなく、頭の良さや美貌など、自らの一部分に固執するケースがほとんどです。

なので、彼ら彼女らが感じている自分が好きという感覚も、それらが失われてしまえば窮地に立たされる。

先の「表向きの自信」とまったく同じことが言えるわけですね。

自信にこだわらなくなったとき、おそらく本物の自信が手に入る。

具体的な処方箋は、何度も書いてます通り楽しいこと・好きなことをする。

これが「自信にこだわらない自信」というものを体感的に教えてくれる究極の方法です。

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