自由を希求する人。

親愛なるあなたへ

自由を希求する人は自らの価値を自分で決められる人です。

自分で決めたい、と思う人です。

自分で決められるから他人からの承認欲求が薄い。

自らの価値を自分で決める、それが自立の一つの形でもあるでしょう。

誰もが自由になりたいと思っていますが、自由になってみて「思ったのと違う」という感覚は恐らくは全員が通る道。

生来一人旅が好きで自由の素質があると感じる小生でさえ、自分らしくフラフラしているとその心理的不安定さに驚くことがあります。

私が哲学・宗教・生き方を含めた「精神的な部分」を勉強したりそれを実体験と結びつけるのに重きを置くのはそういう理由もあるのですね。

自由は「足場」つまり「人生の本質」を固めておかないととてもじゃないけど立っていられないくらい不安定なものです。

しかし、その自由を敢えて希求し、断行する。

なんでも自分で決めるというのは思った以上に大変ですし、何より最初は「価値を感じにくい」と思います。

人間は他人に指示され他人目線で生きて他人からの承認をもらっていた方が絶対ラクなんですね。

その代わりそれをいつでも覆される、というリスクがある。

私はそのリスクが嫌だったのですね。

だって「安心できない」じゃないですか(笑)

多くの人が自分で価値を決めていると思っていますが実際のところはほとんどが他人目線なのです。

それは日本のムラ社会・島国体質が家族・地域や学校はおろか、本来は利益追求という純粋な目的に向かいシステマティックで合理的であるはずの「企業」にさえ及んでいるのですから、24時間365日他者承認にさらされ続けていることを思えばいたしかたありません。

自由の力は選択する力。

「東洋の奇跡」と呼ばれ、戦後の焼け野原から先進国入りを果たした日本の経済発展の秘策「レールに乗っていく」という現在の画一的な教育環境がいまだに尾をひきずっている社会構造を思えば、義務教育や学生時代に自由の力・選択する力を養えないのは自明であります。

とすれば、社会に出た後自らつけるしかない。

しかし自由度と流動性が低い日本では社会に出た後でもそれを実行するのは至難の技。

現実的なところではそんなに簡単に転職できない、独立できない、ということですね。

だから覚悟が必要。

自由、自立、覚悟、勇気、承認欲求からの解放と選択する力。

自由と一言でいえば「自分勝手」「気まま」で終わらせられてしまう概念が、傍からの見た目や表面的な言葉の響きとは裏腹に、人間として成熟した一つの最終形態であると私は思っています。

それを希求していくのが人間の本来の姿であると。

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