退化的進化。

親愛なるあなたへ

耳の動く人が1000人に1人の割合でいるそうですね。(さらに片耳ずつ動かせる人が1万人に1人いるのだとか)

筆者もそのうちの1人なのですけれども、昔から動くのは当たり前だと思っていて「どうやって動かすの?」と聞かれるのですが、ただ「力を入れればいいんだよ」と。

逆に動かない人がどういう感覚なのか分からない、というのが実感ではあるのですが(手を握ってと言われて「どうやってやるの?」と聞かれれば「力を入れればいんだよ」というのと全く同じですね)。

耳が動くのは太古のなごりで「情報を耳から得る」「周りを警戒するため」なのだそう。

動物(身近なのでは野良猫さんですかね)が寝ているにも関わらず耳を動かすことがありますね。

危険と隣合わせなので常に周りを警戒しているのですね。

耳の穴から外側の部分を動かす筋肉である「耳介筋(じかいきん)」という一連の筋肉群があるそうなのですが、人間はこれが著しく退化しているそうです。

文明が発展し、安全が確保されてきた人類の歴史においては必要なくなったのかもしれません。

なので、現象論的に言えば「動かない方」が「進化型」。

飼い犬さんの耳が動かないのは人間と同じ「安心しているから」なのだそうです。

しかし太古の名残が残っていると「より自然に近い」ということでもありますね。

私は大学で量子力学なるよく分からない現代の根幹の理論に触れましたが、結局自然へ、そして宇宙の真理へと近づく方法論であれば、太古の現象として残っているか、数式を駆使した理論で迫っていくかの違いであって方向性は実は全く同じである、と。

なので、過去の記憶が残っている「退化型」であってもおそらく現代では「得する進化型」なのでは、と思っています。

耳で色んなものを感じる、と書いてるところに通じるようにおそらくは「耳がいい」のでしょうね。

絶対音感の人が苦労するようにあまりに耳がいいと大変なこともありますけれども、個人的には「量子力学よりも耳が動くこと」であると。

よく分からない結論ですが。

by You