誰が与えたのかが分かれば。

親愛なるあなたへ

私は占いについてよく触れますが、飛び出してこれらを活用し始めたとき、どんなに大変でどんなに自分が恵まれないものを持っていても不思議と運命を呪ったり自分を呪ったりすることがなかったのですね(飛び出して今日まで書き続けている記事を見ていただければ分かると思います)。

呪いそうになっても、思い直す。

しばらくして、時間を置いてもいいから思い直す。

それは斎藤一人さんや小林正観さんの影響が多分に強いと思うのですが、全てのものは神が与えてくれたものだ、と思うようになったからだと思います。

神様と約束してきたからだ、と。

お二人は占いについてあまり具体的に触れられませんが、手相だろうが名前だろうが、過去に引っ越した方位だろうが家相だろうが、どんなにそれが悪くて実際に影響が出ていたとしても、人間は「それらを切り開ける」。

なのでいつかも書きました、「幸運・不運」というのは本当は存在せず、一見「不運」に見えるものは「それを自分の力で乗り越えることができる」という一つの「才能」なのです。

占いで不運と出たときはめちゃくちゃ喜んでいいわけですよ(笑)

もちろん「自力」というのは「占いの力も活用する」ということで、この世のシステムを知ったのにそれを活用しないこととは意味が違います。

それなら最初からシステムを知ってる人や、システムを知らなくてもその流れに乗っている人の方が「価値がある」のではないかと思ってしまうのですが、そうではなくて「途中で知って修正するだけの力がある」「それだけのものを乗り越える約束を神様とした高次元の魂」なのです。

これは自分だけではなくてどんな人でもそのステージを通らなければならない。

その通らなければならないステージを、生まれる前に「今度のあなたなら大丈夫だよ」とお墨付きをもらっているのですから、「不運」と呼ばれるものに価値を見出し、神様の愛を見出す。

神様がしてくれた絶対的な約束。

そしてそれを了承した自分との約束。

かの占いですら神が作りたもうた。

占いや霊能力といった不思議な世界を活用するとき、もっとその根源的な理由というのを考えればおのずと解決策は見つかるのだと思います。

p.s.

そして、見つかったならば「今さら」とか「もっと早く知っていれば」とか「他の人は何で知らなくても与えられるんだ」とかじゃなくて、すぐに活用していこうではありませんか。

合理主義者はそう考えています。

by You