神への承認欲求。

親愛なるあなたへ

私が神さまという概念が必要だと思うのは、人間の中に根底的に存在する「承認欲求」というものを払拭するためだと思うのです。

世の中における人間関係のほぼ全ての問題は承認欲求が歪んだ形で出てきた結果だと思います。

それは過分に「他人に」承認してもらおうとする、だから無意味な足の引っ張り合いや嫉妬、マウンティング、あるいは子供を自らの自尊心の道具にしたり(子供の自立への阻害を含め)する。

無意識のうちにですね。

それを神という存在に自分は認められているのだという、「他人」「人間」という枠を越える一つの目安がないと難しいと思うのですよ。

よく「そのままの自分を愛しなさい」と言うのですが、正直いきなりこれができるわけがないのです。

頭で分かっても、なかなか納得できない。

その前に「人ではない何か」に承認してもらうという「途中経過」が必要である。

何か宗教をやれということではなく、自分なりの信仰を持って、神に認められているという感覚を得ないと「そのままの自分を愛する」という次元に到達するのはおそらく至難の業でしょう。

筆者はなんとか「そのままの自分を愛する」ことができるようになりましたが、それでも神による承認という概念を経て、それこそ今でも神さまに認めてもらってると思っていないと大変なときもあります。

今の日本はなんだかおかしい、歪んでいると多くの人が心のどこかで感じているのは、おそらく日本の信仰心の希薄さと無関係ではないと、そんな風に感じるのですね。

by You