英語と日本人の誇り。

親愛なるあなたへ

盛岡で外国人の方と仲良くなりました。

アメリカ・オハイオ州から来られたアンディさんという方で、しどろもどろ具合から判断しこちらの英語のレベルと向こうの日本語のレベルがほぼ同じであろうと(笑)

「同じ土俵」ですと、しゃべれないのになるべく簡単な英語使ったり日本語使ったり、また補い合ったりしてお互いに通じ合うのがとても不思議でした。

後日、英語の先生に伺いますと「日本人は完璧にしゃべろうとするからしゃべれない。とにかく『度胸』が最短ルートです」とおっしゃっているのを聞いて、なるほどなぁと。

さらにその先生曰く、(私の大阪歴が長いのをご存じで)「海外で活躍されている方は関西の方が多いんですよ(笑)しゃべり好きだしコミュニケーション好きだし、ユーモアのセンスもあるからでしょうね」と。

筆者の英語力はまあひどいもので、けれども他の国の方とはおしゃべりしてみたい。

あるとき英語で話しかけたら全然答えられなくて、相手が見切りをつけて他の人に聞いたという体験もあります。

なんて失礼な。

人の国に来るんだったら向こうが勉強してくればいいのですね、本来。

それでも、私の場合、機会があるなら自分から話しかけたいなと思います。

ところが世間は逆のことが多いですね。

「人の国に来るなら日本語勉強してこい」とはなんとおこがましいことを言うのか、と心で感じながら、英語で答えよう、と思っても、話しかけない。

さらに向こうから話しかけられると嫌な顔をする。

日本人が何故嫌がるのか、というのは、島国体質で異質なものへの抵抗感や、今の教育(英語でなるべく完璧に近い答案を出させるという評価体制)、そして何より、自らの国への誇りが薄くなっていることが原因のような気がします。

私は日本が大好きです。

だから、「人の国に来るなら日本語ちゃんと勉強してこい」と言いつつも、しゃべれない英語で喜んで話しかける(笑)

日本人は「英語をしゃべれないとダメな人間、何か劣っている人間」と思い込んでいる節があるのですね。

そんなことはないのです。

日本が国際化で英語を学歴という名の幻想的人間評価基準の一つに取り入れ、かつ迎合主義的体質の日本人がその価値判断を自ら刷り込んでいったという反省はあるのでしょうけれども、他の国の言語がどれだけ世界を席巻しようが、文化を我が国で取り込もうが、それらは誇りとは全く関係のないのものです。

何度でも繰り返しますが、人の国に来るなら、その国の言語や文化を相手が勉強するのがルールでありマナーです。

先の英語の先生曰く、フランス人は誇りの高い民族らしく、英語で話しかけられても(たとえ話せたとしても)ほとんどフランス語で返すのだそうです。

自らの国と言語に誇りを持つこと。

それが英語をはじめ、諸外国の言葉でコミュニケーションを取ろうと思う最初の起爆剤であるように思うのです。

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