今でも尊敬する人。

親愛なるあなたへ

大阪・関西時代の頃の私は、元・大阪府知事橋下徹さんの旋風の真っ只中にいたと言っても過言ではありません。

何度か書いております、大阪へ引っ越してきた2008年1月27日が橋下さんの府知事初当選の日で、当時そのようなことは全く気に留めない、橋下旋風を意識するようになって振り返ってみればになるのですが、本当に運命的であったなと思っています。

もともとタレント弁護士としての顔は学生時代にテレビで拝見していたのですが、そこから政界へ切り込まれた「異端児」としての活躍。

あの行動力、あの覚悟。

かっこいい、尊敬という名がもはや文字通りの我が感情でありましょう。

大阪都構想敗北をケジメとして政界を引退され、その後コメンテーターとして活動されていますが、最近どこかで読んだ評価では「批判ばかりするコメンテーターに成り下がった」。

飛び出して人生変えて以降私はテレビをほとんど見なくなったので分からないのですが、一般的な見解としてそう捉えられる一面もあるのかもしれません。

しかし、私個人としては、その旋風を目の当たりにしてきた、大阪が良くなったと実体験した人間にとっての感情は変わりません。

かっこいい、尊敬、それに尽きます。

本当にお疲れ様でした、という感覚で、あとは自由に言いたいことを発言されて、政界時の面影がないのびのびと活動されている姿をメディアで拝見したとしても「本当にお疲れ様でした」。

あの卒倒するような逆風と重圧の分、思いっきり自分勝手に(?)ではないですが楽しまれてください、という、そういう想いになるのであります。

「いちコメンテーターに成り下がった」と評価された方は、何を基準にどういう価値観でおっしゃっているのか分かりませんけれども、恐らくその方は自分の身を犠牲に、ではないですが、究極の覚悟を決めて何かをやったことがある方ではないのでしょう。

発言された方はどなたか忘れてしまいましたが、たとえそれがどのような分野で有名な方であっても、私は自らの半世紀弱の人生の中であれほどの覚悟を持たれて政界に挑まれた方を見たことがありません。

何か究極の覚悟を決めてやった人間には、それが分かる。

そして労う心が生まれる。

私も自分の人生という小さい小さい、ほんのとるに足らない微々たる中でその「覚悟」というのを経験させていただいたものですから、橋下さんという偉大な方でその覚悟のレベルも天と地の差ほどある中、誠に不適切な表現ではあるのですけれども、「それが分かる」。

だから現在がたとえどんな姿であっても、今でも尊敬する人。

一度全て剥き出しにして自らに与えられた運命に相応する決死の、最大の、究極の覚悟を持って臨んだことがある人間は、同じことがもう一度できる。

尊敬とは当時の姿・姿勢に対してもそうですが、本当のところは「信念の再現性」という、その人が持つ根本の魂に対してなのです。

by You