命の定期便。
親愛なるあなたへ
昨日はヒロシマの日。
夏になるとおのずから命について再考する、そんな時期が毎年訪れます。
ともすれば何もなく過ぎ去ってしまう日。
これを書く当の本人も普段の忙しさにかまけて気づかず、ニュースの記事でハタと手を止めたのが実情であります。
「定期便」という言い方は不適切かもしれないけれど、そういう意識を毎年発信してくださる報道の世界に、私は深い敬意を表します。
2年ほど前、広島を訪れた際に拝覧しました「原爆ドーム(広島県物産陳列館)」、その記憶と共に。
当時の記事でも触れましたが、我々の世界がいくら進んでも、遥かなる記憶をまとった史跡その一帯の時間は完全に止まっている。
その記憶を受け継ぎ、恒久に残さんとする。
何度も繰り返され聞き飽きたと言われる言葉であろうけれども、自分のやりたいこともやらずに死んでいった運命がある。
そういう魂を感じる。
偶然にも日本のお盆と重なる、その数奇な共鳴に。
私自身も今この時、故人を偲ぶその当事者として。
我々は毎年の命の定期便を拝見・拝聴するたびに、ともすると人生を見失いがちになるであろうこれからの時代、使い古され聞き飽きたとされる現実に、これでもかと見つめ直すことができる。
半ば、半強制的に。
けれども、私はその半ば半強制的に配信される命の定期便が、難しい社会を今後も突き進んでいくであろう現代日本の心のよりどころであるように思うのです。
真っ当な道を照らす、一つの星であろうと思う。
そう思い、自身も見つめ直しながら一本のお線香をあげる。
親愛なる故人に。
そして遥かなる記憶の御霊に。
常しえに、安らかならんこと。
私達は皆、自らの運命を果たします。
by You