SNSと対話。

親愛なるあなたへ

青森県下北半島北部に位置する恐山。

その恐山菩提寺の禅僧は曰く。

SNSは対話ではありません」と。

「不特定多数の人物に思いを一方的に吐くだけ、その強度を上げていかないと満足できなくなる『麻薬』のようなものです」

鋭い指摘に思わず唸ってしまう。

自らの感情を表現できない若者が増えているという。

SNSの反動なのでありましょう。

たとえばこうして書くブログも広義にはSNSに含まれるようですが、そのスタンスの取り方なのだと思います。

情報発信の目的が、誰かの目に触れてそれが評価される、あるいは自らの思いをくみ取ってほしいという目的で発信するものが「麻薬」になってしまうのでは、と。

すると「拡散性」の主たる機能に目が向く。

ブログとSNSの細かい違いの中にも「拡散性」があるようなのですね。

SNSは拡散性に優れる。

人間が自らの存在を認めて欲しい一心で手を出す。

活用法のお話であり、片やエッセイのような形で自身の思考・内観を他人目線でも分かるように書く場合は、経験上、自分の気持ちや感情をより言語化できるようになると思います。

自らの感情が分からない。

人間は言葉によって認識する生き物ですから、自分の感情を言語化できなければ当然他人の感情も言語によって慮れず、そこに待つのは対話のない完全なる個人主義の世界。

個人主義へ傾いたのが先か、対話がなくなったのが先か。

ニワトリとタマゴの問答が始まる前に、対話を取り戻す。

対話が大事なのだ、と改めて再認識する。

確かに今の世の中は対話ではなく情報伝達の処理で終わらされているものが多いようにも感じます。

本当に、その通りだと思います。

p.s.

こちらの記事は、是非。

恐山菩提寺の禅僧の方の、命の極限を体現された刹那をまとう愛の言葉の数々です。

news.yahoo.co.jp

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