AIが示唆する未来。

親愛なるあなたへ

AI開発が怒涛の勢いで加速している中、私たちに待つ未来とは。

この前旧友のグーグルで働く天才と飲んできましたが、AIができることは「これまでの情報の蓄積から傾向と関連性を見つけること。その能力はずば抜けている。けれども、全くゼロからイチは作れません」と。

筆者が感知しないプログラムの世界というのは、極論、全て「If文」(もし~なら、こうしなさい)という羅列でできているそうですが、その「If文自体」をあらゆるパターンで自動生成するAI技術はグーグルの天才をもってしても「すごいよね」と。

けれども、全く新しいことはできない、とも示唆するのです。

この事実が示す私たちの未来。

言ってしまえば「よりクリエイティブな活動が重要になる」「高生産性を実現する」ということになるのかもしれませんが、これは実は子供心に我々が望んでいたことだと思うのです。

学校という画一的な空間で、受験という画一的な線路に乗って、会社に入れば一つの歯車として機能する。

それに適合しないものは排除の対象でしかなかった。

業種によっては芸術性を含むものもあるけれど絶対数としてはかなり少ない。

多くの人が思っているのは「小学校の頃にこういう仕事をやりたいわけではなかった」。

社会の情勢やそのときの圧力と力学に関連付けながら、自身を適合させに行くのが現在までの「大人のライフワーク」であった。

けれども、それがAIによってとって変わられる。

他の人には分からない全くの素の自分の感性を素直に放出してよい、いや求められている時代が到来した。

子供心にそうしたくてうずうずしていた、「大人のライフワーク」によって抑圧されてきた、そういう幼くも熟された莫大なるエネルギーを解放するときが来た。

現実的な方法論としてはこれから少しずつ明らかになっていくものだと思うのですが、大局的に見れば我々が純粋な子供の時に無意識に思っていた、誰も真似できない唯一無二の自分をそのまま表現すること。

芸術方面の仕事だけを言うのではなく、たとえば飲食店の接客やあるいはアパレルメーカーの営業など、これまでの画一化のスタイルが崩れていって「まさにこういうカンジでやってみたかったんだ」と。

多少の痛みは伴いながらも、AIに仕事を取られる、のではなく、そういう一つの理想郷の入り口なのだとも思うのです。

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