人間、分相応がいいよ。

親愛なるあなたへ

今から人間臭い話をしますね。

神様の話も好きですけど、人間臭いドロドロした話も大好きなんですよ(笑)

どういうことかというと、殺生が悪いという話をよく聞く。

殺しちゃいけないよってね。

精神的な話が好きな人や魂を向上させようとする人は、これにやられちゃうんですよ。

僕たちは命をいただいて生きています。

野菜も魚も牛も、全部命です。

簡単に言うとね、命をいただいているのだからそれでいいのです。

何を考えることもない。

ただ、感謝の心さえ忘れないようにすればいい。

牛がかわいそうだ魚がかわいそうだって言いますけど、食ってるんですよ、僕たち。

スーパーに動いてたはずのものが理路整然と並んでるんですよ。

ステーキの張り紙見て「よだれ出ちゃう」とか言ってんですよ。

それでいいのです。

世界の宗教の中には特定の生き物を食べないところがありますけど、それはそれでいいんですよ。

僕が言ってるのは完全少数派の変わった話ですから。

人間は、昔人間同士で共食いしてたそうなんです。

はるか昔はね。

今は共食いなんてキチガイだってことになるけど、昔はそれが普通なんです。

そういう段階が必要だった。

それで現代は他の命をいただいているのですけど、それが悪いって少しおかしいのですよ。

だってごはん食べなかったら死にますもんね。

いやオレは死なない自信があるんだって人はいっぺん試してみればいいでしょう。

死ななかったら僕はあなたについていきます。

それを、さらに魂を向上させるとかって肉や魚を食べなくなってしまうんですけど、本当にそれでいいのですか?

もちろん好きでやってるならいいけど、それでせっかくの人生が台無しになったり体壊したりしたらハッピーじゃないよね。

だって肉や魚食べない人も、穀物や野菜は食べてるんですよ。

穀物や野菜も全部命です。

肉や魚の命はかわいそうだって言ってるのにどうして穀物や野菜の命は平気で食べられるんですか?

僕から言わせれば命に差をつけてるとしか考えられません。

おかしいんですよ。

僕たち人間は命をいただくことで生きるように神様が作ってくれた。

だからその通りにすればいいのです。

僕たちは他の命をいただいて生きるしかない立場の魂なのです。

人間は所詮そんな生き物。

それ以上の修行なんてこの世ではできないのです。

神はいつもそうなんだけど「幸せと思え」って言ってるんです。

たとえば魂がずっと向上して殺生を超えた幸せを学ぶ段階があるかもしれない。

でも、それは今ではないのです。

人間生まれること10万回って言いますけど、10万回やって人間卒業して、それから別の形になって食べるか食べないかを選択することはあるかもしれない。

でも、人間でいる限りは命をいただくことしかできない未熟な立場。

その中でも一生懸命成長しましょうっていうことなんですよ。

人間として与えられた条件の中で幸せになればそれでいいのです。

宗教やってる人がいたらごめんなさいね。

僕は人のやってる宗教を非難しようってつもりは全くないのです。

ただこのことが分かるとフッと気持ちが楽になる、そう思って書いてみました。

by You