重なるときに考えること。

親愛なるあなたへ

著名人の方の訃報を聞くことが多くなりました。

偉業を成し遂げられた多くの方が亡くなられて、そのときに自分は何を思うか。

身近の死をなかなか体験することのない我々が、この命の連鎖に何を思うか。

世界が変わろうとしているとき、そのことを一人一人に知らせる、そういう一連の魂なのではないかと。

転換期に起こる魂の叫び。

それを静かに聞いて私たちは本気で自分の人生を幸せに生きねばならない、そんな風に決意するのですね。

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最期の闘魂。

親愛なるあなたへ

「闘魂ビンタ」で有名なアントニオ猪木さんがお亡くなりになられました。

プロレスを通じた波瀾万丈な人生と、政界へ。

そして・・最後の闘魂を。

弱ってしまったという自分のありのままの姿。

「見て欲しいというと抵抗はある」「誰にも見てもらいたくないよ」と笑って見せる中、「期待に応えたい」と静かに燃える最期の闘魂。

ありのままでいる闘志に胸打たれ、私もそういう最期を送りたいと思いました。

プロレスは見なかったけれど、何かの折に繰り出されるその闘魂ビンタと豪快な笑いに元気をもらった世代です。

本当にありがとうございました。

どうか安らかにお休みになられますように・・・

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


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反対する前に気づいておくこと。

親愛なるあなたへ

安倍元総理の国葬後、テレビ朝日の単独インタビューに答えられた菅・前総理。

そこでおっしゃっていたことが「私たちは安倍さんに頼っていたところがあると思う」。

これは政府内だけではなくて我々日本国民が、と私もそう思います。

「反対!反対!」はいいが、その前に私たちは甘えてたんだと気づくことだと思うのですね。

それを全て安倍元総理がしょっておられた。

家庭の中と同じだと思います。

一人立ちしない頃はなんやかんや文句を言っても親に甘えている、という。

それと同じことを私たちはやっていると思うのです。

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AIとのお付き合い。

親愛なるあなたへ

AIとお付き合いするときは、あくまで「こちらが意見を持ったうえでの相談」にとどめておくのが適切な距離のように思います。

いろんなものを見てると、「あなたが興味ありそうなもの」という宣伝をネットで見ることがありますが、これはAIが人間の思考に踏み込み過ぎている。

もちろんそのプロモーションシステムを作成したのは他でもない企業の「売り込み部隊」ですが、知らず知らずのうちにAIがこちらの脳を侵食し始める。

自分で判断できないようになる。

「あなたが興味ありそうなもの」のカテゴリーは一切見ないのが賢明です。

過激な表現になりましたが、ゆっくり温度を上げていくとカエルは気づかずに湯だってしまう「ゆでガエル」の原理と同じです。

なんだそんな馬鹿馬鹿しい、分かっているよと思っても、知らず知らずのうちにクリックしている自分がいるかもしれません。

こういうのは一回入り込んでしまうとなかなか抜けるのが難しいのですね。

自分は判断しているつもりでも実は踊らされることになってしまう。

これから社会は個人へと加速していく中、幸せをはじめ積極的に判断することが多くなる世の中に突入していきますから是非自らの判断力を死守したいものです。

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名文と季節と。

親愛なるあなたへ

一昨日行われました、安倍元総理の国葬

友人代表として読まれた菅・前総理の弔事。

歴史に残る名場面になると思います。

当日トレンドでも急上昇したそうで、ある方のコメントによりますと「弔事で拍手が起きるのを初めて見ました」。

本当にその通りです。

潮が満ちてくるような拍手。

葬儀で「場違いだろう」などという声の上がらない自然な拍手。

安倍総理菅総理のお二人の絆に心を打たれた、その素直な表現から。

菅総理の名文と、心から安倍総理を慕うその心に涙腺が完全崩壊し、顔の水分が全て入れ替わったように思いました。

何回も見てしまいました。

季節も秋。

哀愁の季節と、お二人の絆と、そして切なさと。

この名場面でしばらく涙に困ることはないでしょう。

素晴らしい弔事でした。

もう一回。

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(菅前総理弔事 1:12:25頃からです)

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一つの国を包む盟友と世界の絆。

親愛なるあなたへ

安倍元総理の国葬が、昨日行われました。

「友人代表」

菅・前総理の弔事に泣いてしまいました。

その文章、その朗読は、政界としてではなく、体面としてではなく、一人の盟友として。

その文面の端々に籠る、盟友への想い。

・・・そして次々と国名を読み上げられる、世界各国からの献花。

安倍総理、本当にお疲れ様でした。

そして日本のために、私たちのために、本当にありがとうございました。

どうか、ゆっくりお休みになられてください。

今一度、ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

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(菅前総理弔事 1:12:25頃からです)

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国葬と現代日本人の精神。

親愛なるあなたへ

安倍元総理の国葬が本日行われます。

それに対する反対論が多く出ています。

その理由はと言われると、山のように出てきます。

国会の議論を経ないで国の予算を用いる、旧統一教会と接点があった、現総理周辺で拙速に決めたこと、業績の未確定、安倍氏に弔意を持っていなくとも同調せざるを得ない内心の自由の侵害・・・

すごくシンプルに言って、一人の人間の魂がこれで浮かばれるでしょうか。

仮にも、一つの国を引っ張ってこられた方が、あらゆる形で世間の意識を変えるほどの最期を遂げられたのです。

それを、現在明確に制度が決まっていない国葬にここぞとばかりに水を差すことは、それは人として果たして正しいことなのか。

亡くなられた方の魂を置き去りにして、まるで自らが正義のように言論の嵐を吹き荒らす。

現総理周辺で拙速に決めたことは必ず何かしら理由がありましょう。

もちろん裏で我々が知り得ない目論見があることでしょう。

しかし、そんなことはどうでもいいのです。

「国家の審議を経ないで自分たちの血税を使って」と言う人ほど、普段は「命はお金ではかえられない」と言っているのです。

「旧統一教会と接点があった」と言う人ほど、殺人者の死刑が議論になる度に「命は何よりも大切だ」と言っているのです。

安倍総理の業績が未確定だからダメだということは、政府の深い部分に触れるのが不可能な我々一般人には分かり得ないことです。(先の現総理周辺で拙速に決めたことと同様に。私たちは安倍総理の政界の深い部分について何も知りません)

内心の自由の侵害。

全てを型にはめ自殺を棚に上げる今の学校教育がより議論すべき内心の自由の侵害だとされないのをとても不思議に感じます。

なぜこの場にだけ弁護士の先生方が出てきて声高々に「内心の自由の侵害」などと言えるのか。

現代の隅々に広がる闇濃く根深い現実的な「内心の自由の侵害」に比べれば、安倍総理の弔意に反するものがいかばかりか。

とにかく、「何か理由を見つけてやれ」という空気しか感じないのですね。

人が一人亡くなった。

それも、日本国家を率いてくださった方が一人亡くなった。

それが国葬国葬でないか、そういう話ではないのです。

憲法よりも、もっと大きなところに。

「自然の理法」

その大きさは、一国の元・首相だからという議論ではなく、私達が一人の死というものにどういう精神で相対するのかという大きさです。

亡くなられた方が、自らの死について懸命に引っ張った一つの国からああでもないこうでもないと言われて喜ぶと思いますか?

ものすごい複雑な力学が働き、そして目論見と裏事情がある政界・財界の方が決められたことなら、何度も言うように我々には分かりません。

それでいいではありませんか。

これが慣例化されて、ものすごい悪い事態に今後日本がなるとはとても思えません。

人が一人亡くなった。

それに対して喪に服すかどうか、内心の自由は人それぞれで構いません。

もしそれで内心の自由が侵されると反論されるなら、先ほども申し上げたとおり、そんなたった一瞬のことよりも、現在自殺する青少年たちの議論を今の100倍してください。

現在の制度で内心の自由を踏みにじられているより現実的なテーマにエネルギーを向けてください。

我々は命というもの、そして魂というものに口では立派なことを言うけれど、心では恐らくそんなに尊んではいない。

現代の我々には思いやりがない。

それは、自然の理法ともいうべきものが。

魂を拝する。

殺人者が死刑になったと聞けば、不思議に「当然だ」と思う人は少ないでしょう。

どこかにその魂を拝する気持ちがある。

多くの人間が議論を巻き起こすことで「みんながいるから怖くない」世間の追い風により、個人的な私憤を公憤のようにまき散らすその姿勢は、一人間の死に対し果たして自然の理法に適っているか。

一個人の死としては受け入れると言いながら、それが自分にすぐに被害は及ばない税金・お金の世界、明確化されていない法律、そして深いところで知り得ない情報の詮索が絡んだ瞬間に手のひらを返した態度を取る我々に、生と死を尊ぶ人間観、大和魂、それらが統合された「自然の理法にかなった精神」がどれだけ残っていることでしょう。

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