長距離移動の生徒さんの強さと駅員さんの優しさ。

親愛なるあなたへ

旅先で、行政上の理由やその地域の状況などにより「長距離通学」をされる生徒さんによくお会いします。

片道1時間以上電車に乗って(「電車に乗ってる」時間だけで)通っている生徒さんは普通にいる。

1時間半、2時間なんて生徒さんも。

それが毎日の日課でいつも通りのことなのかもしれませんけれども、そこに「不便」という文句を言わず、一時間に一本あるかないかという交通手段を乗りこなしている。

片道1時間近いという人は意外に都会にもいるかもしれないのですが、一時間に何本も電車があれば乗り逃したときのリスクに対するストレスはないことでしょう。

しかし、「距離・時間」と「時刻表に敏感」という二つの要素に耐えられるというか、そういう姿に「強さ」という、都会に慣れてしまった小生には到底敵わない「強さ」を見出すのでありますね。

私も地方出身なので以前はその強さがあったのかも分かりませんけれども、なに人間弱いもの。

一度「便利な味」を知ってしまったらこれはとことんひ弱になります。

普通の顔して淡々とその強さを発揮する自分より二回り近くも年が若い方々に心から敬意を払う。

そして今度は、その生徒さんを応援する駅員さんの「優しさ」。

今回のお宿は、和歌山は本州最南端の温泉の街「串本町」にお世話になったのですが、その串本駅の改札に駅員さんからの手書きのメッセージが。

まさに共通テスト前後にお伺いしまして、その心からの激励のメッセージに胸うたれる。

都会にそれが絶対ない、地方にはそういう要素が必ず備わっている、とは言いませんけれども、「これまでを切り開いてきた人たち」と「これからを切り開く人たち」の強さと優しさが織りなす素敵な光景に出会ったと、そんな旅でありました。

こういう素敵な光景に出会うために旅をしている、というのも一つあるように思います。

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さざれ石の祝福。

親愛なるあなたへ

熊野速玉大社に行ってきました。

熊野三山の一つで新宮駅からほど近いところにあります。

神倉神社(かみくらじんじゃ)という「熊野神が降り立った旧社地」が近くにあり、その後現在のところに社が建てられたので地名を「新宮」と呼びます。

朱色が映える大変に美しい作りで、社殿以外にも天然記念物に指定される御神木の「梛(なぎ)の木」があったりとパワースポットとしてはもちろん、魂がもう一度洗い直される体験をする霊験あらたかな地であります。

熊野は美しい。

かつて人々は熊野灘の向こう、そこには浄土があると考えた。

熊野は「蘇りの地」。

その蘇りの地を象徴するかのようなもう一つの現象がここにあり。

11年前に来た時には境内になかった「さざれ石」の記念碑。

さざれ石はたくさんの小さな石をコンクリートか何かで乱雑に固めたように見えるのですが、この状態がこの大きさに「自然に」形成されるには「数千万年の歳月」を要するのだそうです。

さざれ石といえば「君が代」ですね。

君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」

この歌はもともと千百年ほど前の「古今和歌集」に「読み人知らず」の歌として見られたものだそうで、その意味は「日本国家の揺るぎない繁栄」を示すと言います。

実はその続き、2番があって、

君が代は 千尋の底のさざれ石の 鵜のいる磯と あらわるるまで」

さきほどご紹介したそのさざれ石、この2番目の歌詞のごとく令和2年2月2日の早朝、突如熊野灘の海底から新宮市王子ヶ浜海岸に打ち上がり発見されたそうです。

かつてのこのあたりの地名は鵜殿村(うどのむら)(現在、王子ヶ浜から熊野川を隔てた新宮すぐ隣にある三重県紀宝町鵜殿)。

数千万年の歳月をかけた大自然の芸術が「偶然、2という数字を揃えて」「偶然、鵜という関連性で」「偶然、日本の繁栄を込めた象徴として令和の初めに」しかも「海岸に打ち上げられる」という物理学的に極めて不可思議(ものすごいデカくて重いです)な現象はまさに「神秘」。

今はコロナだなんだ、おかしな事件がなんだと荒ぶ風の中、蘇りの地に寄せられた繁栄のさざれ石。

私はこの祝福がもたらされた令和の時代、素晴らしいものになると、そういう世代として生きてみせると、あらためて自分に、この地に、そして祝福をくださった神さまにそうお約束したいと思いました。

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旅で語る自分。

親愛なるあなたへ

初めて方位をとった11年前。

南紀和歌山、世界遺産にも登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」。

その中継地であり、目的地でもある新宮(しんぐう)へと向かいます。

特急くろしおに乗って丸4時間。

紀伊半島を裾野に沿って進み、熊野灘を臨む。

新宮は真に遠い。

果無(はてなし)山脈や熊野三千六百峰の峰々が広大無辺に連なる神々が住む山塊の向こうに、その街はある。

新幹線で大阪から東京へ出るほうがよっぽど「近い」かもしれません。

でも、その時間にさまざまなことを語る。

自らと語る。

「次は終点、新宮です」というアナウンスとともに不思議な思いが込み上げてきます。

懐かしい、もちろんお世話になる土地感もあるけれども、それと同時に何か自分の分身的なものと会話するような。

旅の終着点。

それは当時を語られた自分との再会を機に始まる新たな出発点でもあります。

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イベントで声援を送る。

親愛なるあなたへ

今年も昨日からセンター試験の後継、大学入学共通テストが始まりましたね。

職業柄この時期は「甲子園の高校野球」みたいな不思議な一体感があります。

どんな生徒さんにも、普段はちょっとと思うような(?)生徒さんにも全員に頑張ってほしい。

子供がいない無責任な分、赤の他人だからこその無責任な分、それを埋め合わせられるか分からないけれども、嘘偽りない本心からの声援を送る。

高校の勉強内容の有無でなく、人生の中の一つの挑戦として、そういうイベントとして、本番を踏むことで結果の如何抜きで人間は強くなるという経験を是非してほしいなぁと思います。

昨日は東大会場で大変な事件があったようで、今日は津波注意報や警報でスケジューリングが乱れてしまう方々もいらっしゃったようで本当に大変なことだと思うのですが、どうか一つのイベントとして楽しむ!くらいのノリで過ごしてほしい。

私も現役と浪人で2回経験がありますが、本番前まではストレス以外の何物でもないのですが、意外に本番を迎えてみると出来がどんなに悪くても(当時は甚だ無理なのに医学部を目指していて、もちろん本番はボロボロだったのですけれども)なんか一つの「イベント」的な感覚になったのをよく覚えています。

そのころから自由人的な生き方が出てしまってたのかも分かりませんけれども、それでも、私も予備校でよく生徒さんに言ってますが「受験なんかで人生は決まらない」というのを昔から感覚で分かっていたのか、本当に受験なんかで人生の数%も決まらないのですから(信じられないかもしれませんけれども)、本当に一つのノリ、イベントとして味わえる一日でもあってほしい。

残り今日一日、是非がんばってくださいね。

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究極の安心感。

親愛なるあなたへ

今日は大寒波の中すごい風が吹いてます。

こんな日は家から出ずにぬくぬくと。

ドラえもんの「のび太君」ではないですが、いつかのコマにありました、のび太が寒い夜にみんなを操る道具を使って外でやりたい放題していたのですが、そのことが空しくなった最後に一言「あったかい布団に入ってぐっすり寝る。こんな幸せなことがあるか」と。

去年の同じ時期にも「冬は感謝の季節」と題し、時々わざとベランダに出て「うおっッ、寒っっっっッ」と一瞬刺激を与えたあと嬉々としてコタツに舞い戻るという怪しいM度を発揮したこの季節ならではの楽しみ方を告白してしまったのですが、私が冬を好きになる理由はこの「守られている感が半端ない」ということだろうと思うのですね。

人間の精神の安定性は、自信とか豊かさとか希望とかトキメキとか、そういう色んなものもあるかと思いますが、究極、この「守られている感」に行きつくのではないかと思っています。

もちろん豪雪地帯の方(小生の親戚にもおりますが)、そして外で生活されている方は本当に大変なことだと思います。

そういう現実はあると思いますが、もう一つの現実として普段は感謝することのないエアコンとかコタツとか、はたまた温かい空間を囲んでくれている部屋の壁とかマンションそのものにベタベタ触って挨拶するという「究極の安心感」「守られている感」というのがこの冬には満ち溢れている。

なので部屋の中で暖を取っているだけで幸せを感ずる至高の心身の安定性は他の季節にはなかなかないものだと、そう思うのでありますね。

by You

教えとごまかし。

親愛なるあなたへ

物を教える仕事をしているとその人の態度によって「教える」のと「ごまかす」のとどちらがよいだろうかと天秤にかけることがあります。

事の善悪は別として、実務時間に制約がある都合上、どうしても全員に同じサービスをしてあげることが難しいケースがあります(もちろんシステム的な問題もあるかもしれませんが)。

すると、本当は物事を「分かってる」と言ってる人全員に「本当に分かってるかをチェックするサービス」をしてあげたいのですが、そのサービスをしたときに「素直になる人」と「不機嫌になる人」がいる。

素直な人にはそのときの時間が許す限りサービスをしてあげられるけれども、不機嫌になる人には「すごくできてますよ!完璧ですね!」で終わらせる場合がある。

何故かというとそれはその不機嫌な人の気分のフォローにこちらの時間もエネルギーも余計使うことになるから「経済活動」「より多くの方へのメリットの享受」というお互いのwin-win関係両面から考えた場合、現実的にはどうしてもそういう対応が最適解になってしまう。

不機嫌になる人にサービスしてもその人は不機嫌になるだけで事の本質は受け取らないし、そのフォローに時間を割かれた分、他の人のサービスの質や時間へ多大な影響を与えてしまいこちらも無駄なエネルギーを浪費するという、誰にとってもメリットが出なくなってしまいます。

そういうのを何度も繰り返しているうち、物を教わる、あるいは知るときの態度というのは素直さというか謙虚さというか、「自分のプライドを捨て去る」ことが実体や本質的なメリットを得るためにいかに大切なのか改めて実感します。

「いいこと聞いたらすぐ実行!」を日頃の合言葉にしているのはそういう背景もあります。

結局「自分のプライド」が「本質や実利益を得るチャンスを逃してるんだ」という裏事情を知っておかないと、「すごいですね!」「素晴らしいですね!」「そうなんですか!」という耳障りのいい言葉や対応が「ごまかしである」というのに気づけず自分がすごく損をする、という経営者・合理主義者ならではの感覚というか、そういうのが一つの処世術であろうと思われるのですね。

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推奨できる無責任な愛情。

親愛なるあなたへ

昨日は成人式でしたね。

仕事で外出してましたら着物姿の綺麗なお姉さま方をお見かけし「ああ成人式だなぁ」と。

コロナウィルスの新しい変異株が広がりを見せる中でしたが無事に開催できたところが多かったとのこと、本当によかったですね。

お酒が堂々と(?)飲めるようになったりと、色んな意味で「大人」の入り口に立つ20代。

私もちょうど20年前に地元の会場で成人式に出たのをよく覚えてまして、中学・高校の同窓会さながらのお祭り騒ぎだったように思います。

今回の成人式での街頭インタビューで「カッコいい大人になりたい」「健康第一でいたい」など、未来に希望をときめかせる姿を見て「いいなぁ」と思わず頬がゆるんでしまいます。

自分がそういう年齢になったのも結構信じられないのですが(笑)相手が全然関係ない赤の他人でも、その人の何か責任をとるわけでもないけれども、今後色んなことが待ち受ける人生の荒波を、自分の好きなように、自分らしく生きて!という無責任極まりないこの愛情というものは結構気持ちいいものだと、そんな感想を持った40歳でした。

by You