時代のエゴと反対を行く。

親愛なるあなたへ

世の中はいつも一握りの幸せ者と多くの不幸な人で占められている。

どうして幸せな人が一握りしかいないのか。

お釈迦様も悟りを開くための四諦というものを言いましたけれど、その中で一番初めに「苦諦」があり、この世は苦しみに満ちていると説きました。

大半が苦しんでいて一部幸せな人がいる。

経済力の問題ではなく、お金を持ってても不幸な人はいっぱいいます。

それは大半の人がやり方を間違っているからかもしれません。

その大半のやり方を集めたものを「常識」と言います。

これは常識の悪口ではないのですけど、もし常識に従っていたら幸せになれないのかも分からない。

例えば今は不景気でお金を稼ぐことが何か悪いように思われますけど、バブルの頃は株やら土地やらみんなお金儲けにせいを出しました。

それがあったからか分からないのですけど、大切なのは心でお金儲けは悪いことだ、みたいな「常識」ができあがってしまった。

バブルの頃はマネーゲームをして感覚がマヒしていたのですから、「世の中お金が全てじゃない」というのが少数であった。

すると、その時代のその感覚はとても大切で、幸せの一要因であるように思われる。

ところが今は不景気ですから、逆にお金を回す方法を考えなければなりません。

どうやったら稼げるか、を真面目に考えなければならない。

これも今の時代は少数派です。

競争と協力の原理に関しても。

一昔前はひたすら競争の時代でした。

ところが、今は協力の時代になり、幼稚園でもかけっこでみんな手をつないでゴールしたり、お遊戯でもお姫様が何人もゾロゾロ出てくるそうなのです。

協力は非常に美徳であるけれど、そこは何かが歪んでいる。

競争の時代に協力を説き、協力の時代の競争を説くのは確実に少数派である。

さらには世の中の波動として、少し前は「感謝してます」の言葉で上手くいったことが、今は「感謝してます」よりも「ナメられないこと」が大切になってきた。

この記事もどちらかというと後者寄りなので、一歩前出て自分を通す、という少数派。

時代にはいつもエゴというものがあります。

人間にもエゴがあるのと同じで時代にもエゴがある。

時代というのはいつもエゴの反映である。

その逆を行く人がきっと幸せな人なのだと思います。

そして、いつかそのバランスが取れた世界が訪れ、それを天国と呼ぶのではないだろうか。

それまでは、いつも反対へ、反対へ行くのが限りなく正解に近いのではないかと、こう思うのです。

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