「結局他人」は果たして冷たいのでしょうか。

親愛なるあなたへ

私はLove Yourselfで記事を書いてる通り、まずは自分を愛するところから始めるのがいいと思っているのです。

人間は自分が持っていないものを相手にあげることはできない。

平均寿命から言えば人生の半分も生きていない人間ですが、世の中をぐるっと見てきて自分は持っていないのに尽くすこと・相手を教育すること、それを「愛」と思い込んでいるところがいっぱいあるから、モラルハラスメントや愛という名の暴力、知らず知らずのうちに劣等感を植え付ける巧妙な仕組みが出来上がっているのだと思います。

でもそこにみんな悪意がない。

悪意がある場合もあるのですけど、自分がやられてきたから当たり前だと思っている。

それが愛情だと教え込まされてきた。

本気で正しいと思い込んでいる。

そして本当の愛情もあるから、分かりにくい。

だからそういうのを一回全部取り払って、非常識でも何でもいいですから「わたしを心から愛すること」から始めてみてはと思うのです。

傲慢ながらこれは「常識のちょっと上」。

この世に存在する戦争・イジメ・嫉妬・複雑な人間関係ができあがるのはみんな自分を愛していないから。

気づいてないけれど小さいときからみんな心が本当は傷だらけなのです。

その傷を癒すには、自分のために楽しい人生を送ればいいのだと思います。

人は二の次。

自分が楽しい人生を送れば、幸せになりたい人はその姿を見るだけで自分も楽しもうと思う。

自分で勝手に歩き出す。

そしてまだ不幸を味わっていたい人、一緒に不幸になりたい人は嫌がるのだから放っておく。

自分で勝手に歩いていく。

我々は自分が楽しく幸せに生きるだけですから、「結局は他人」なのです。

じゃあ「自分のことだけを考える」のですか、というと、自分が幸せになれば人のことを考えられるようになるのです。

だから「ずっと自分のことだけを考えている人」はその方法ではないのかもしれない。

自分のことを考えているのに楽しそうな人や幸せそうな人を見てなんか心が晴れないときは、その方法ではないのかもしれない。

「結局他人」で幸せな人は、他人が楽しそう・恵まれている・幸せなときに心から「良かったね」と思える人。

だって自分は自分で幸せだから。

「結局他人」の幸せ論は人の幸せを喜べるということ。

それがそんなに冷たいと思わない根拠です。

by You