米を研ぐ。

親愛なるあなたへ

お米を研いだことがあるでしょう。

最近は無洗米がありますからそのまま炊けるのかもしれませんが、水を入れた釜やザルでお米をかき回しますね。

すると上に浮いてたお米が下に沈んで、下に沈んでたお米が上に上がってくる。

ただ常に上にいるのではなくて、それがまた沈み、また上がってくる。

まるで米粒ひとつひとつが私達と同じようです。

常に下にいることもない。

かといって、常に上にいることもない。

そうやって上下を繰り返しながらやがてお米は磨かれていきます。

上下があって「大変だ」、と人はこれを憂うのですけれども、そうやって山あり谷ありの日常を送ることで人間が練れてくる。

自然の摂理として、「研磨」という生成発展の方向として上下が必然と生まれてくるのですから、そう心配することもないと思うのです。

いつも上にいることはないから浮かれて飛び跳ねることもない。

かといって常に下にいることもないからまた悲観することもない。

程度の差こそあれ上下に揺れてもただ希望を持って進めばいいと、そんな風に思うのですね。

by You