口コミの圧力。

親愛なるあなたへ

SNSが発達した昨今、私たちはさらなる「同調圧力」に十分配慮する必要があると思います。

それが「口コミ」。

口コミの評価で良いところもあれば、悪いところもある。

筆者が「アンチ」なせいか、どうしてここがこんなに口コミが良いのか、どうしてここがこんなに口コミが悪いのか、ということが色々出てきます。

もちろん口コミ通りのこともあるのですが、やはり自らの数多の経験則に照らし合わせて。

日本人は「その場」の同調圧力に屈しやすい、という特徴がありましたが、それがはるか電波に乗ってまで。

口コミが良いのだから良いと感じなければならない、悪いのだから悪いと感じなければならないと、自主性を放棄する場面が多くなってくると思います。

無意識なのが怖いところですね。

個の時代に向かうけれども、電波により同調圧力の広がりがこれまで以上という矛盾した世の中がやってくる。

やはりいつの時代でも信じるのは「自分の目と肌感覚」だと、そう思うのでありますね。

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つながるという驚異。

親愛なるあなたへ

1977年9月5日に打ち上げられた、人類史上最も遠くにある人工物である宇宙船・ボイジャー1号

個人的ながらこの記事の書き始めの日と偶然一致し、とても思い入れがあります。

そのボイジャー1号は、現在地球から240億kmを飛行中とのこと。

昨年11月から正常データを受信できなくなっていたそうですが「地球上」からのトラブルシューティング操作で、無事復活した。

電波とはなんとすごいものなのか。

そんな遠くとつながれるものなのか。

こちらの意思により240億km先に影響を与えられるものなのか。

現象に息を飲む。

人類の短い歴史で、とりわけ科学技術の発展というさらに極小の期間でそうした現象が可能なのだとすれば、悠久の時を支配する宇宙が「全てをつなげる意識」を作ったとしても理論的に不思議ではないと思うのですね。

p.s.

news.yahoo.co.jp

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無限。

親愛なるあなたへ

我々が物理的な意味から始まり、人間の能力や立ち位置を含め前後・上下を決定するのは「端から見て」という基準が無意識に生まれているからですね。

ここで「無限」というものを想像してみる。

俄かにはつかみ難いが、ようく考えてみると、そうすると「前後・上下」とは何なのかが分からなくなってくる。

端が遠く遠くに行ってしまって、「端から見た」二つの差がどんどん縮まってそのうち重なってしまうからです。

高校生が習う数学分野、微分積分法の「極限」という処理と同じですね。

無限はあるのかないのか。

それは分からないけど、例えば時間は誰もが感じているように過去から未来までずーっと続いている。

空間も、宇宙を遥か行けばそのうちどこか「空間じゃないところ」に行き着くのかもしれなけれど、その「空間じゃないところ」も一つの概念だから「空間」という言葉じゃないだけでずーっと進んで行けそうな気がする。

物理学の世界では時空は同時に生まれたとか、哲学・心理学によると人の認識が時空そのものだとか、色んな議論があるけど、「無限」という概念を考えてみる。

我々は今の状態がずっと続くと思っているけど、死ぬことも含めてどこかで「有限を強烈に意識している」。

だからこそ精神を正常に保っていられると思うのですね。

そもそも、終わりがないものが存在するということ自体が信じられない。

それでも考えてみる。

すると、全てがみなこの瞬間に一点に交わっていて、同時に存在するという事実のみに行きつく。

その「同時に存在する」という事実だけが、厳然たる生きている意味になる。

存在するだけで、生きてるだけで意味があるというのは、そのような側面もあると思うのですね。

同時でなければならないのです。

だから寿命が来るまで、皆と同時に存在する。

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変わらないこと。

親愛なるあなたへ

この目まぐるしい世の中で、人生と人道を見誤らない術。

それは「変わらないこと」に想いを馳せることだと思うのですね。

世界は怒涛の勢いでテクノロジーと文化が変遷していくけれども、人の心・宇宙的正義を含め、いつの時代でも変わらないものがある。

それを忘れるとおかしなことがたくさん起きてくる。

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不可能が可能になるとき。

親愛なるあなたへ

小さなことでも自らの信念のもと続けていると、それを誰かが見ていて、神が見ていて、自分一人の力では到底不可能であったことを、集団を動かす力に変えてくれる。

そんな不可思議な現象を幾度も経験してくると、自分一人の人生を越えて宇宙を感じようとするのだと思います。

神を信頼するようになるのだと思います。

by You

教育者。

親愛なるあなたへ

伝説の大ベストセラー「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」は説く。

ー教育者は相手が「自らの力で勝ち取った、成長した、克服した」と思ってもらわなければならないー

ー「先生のおかげで」と感謝されたときは本当の教育としては失敗しているー

教育の本質を常に心におこうと決意する。

そして逆算的に思ったのです。

尊敬も感謝も何もない孤独の中で、相手が自らの力で勝ち取ったと思ってくれる成長を喜べること。

それは、自分がそういう経験をして、そして自らのことが大好きでなければできないことだと。

教育者こそ、自らの成長を心から喜び、誰よりも自分を好きになる。

自分への信頼が「他者との枠」を崩し、自らと同じように感じられる。

他者が自分である。

他者の喜びが自分の喜びである。

そういうことが説かれていたのかな、と改めて思いました。

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意思による愛情。

親愛なるあなたへ

前回の記事でご紹介しました、金子雄貴宮司様。

その方もおっしゃられていましたように、これからの世の中は価値観が多様化してきて「他人に無関心」「自分さえよければいい」「つまらないことでの争いが増える」という日本の未来。

私も全く同様に感じます。

多様性こそが豊かさ。

しかし、それが独り歩きすれば「個」が「自分本位」と同義になる。

お互いを認め合って本当の意味でつながり合う愛情が多様性のはずなのに、それを忘れてしまう時代に入る。

魂の段階としては、どうしても必要なのかもしれません。

これまでは多様性が認められない中で「結果として」周囲とのつながりが深かった。

自らの意思とは反していても、相手のことを考えなければならなかった。

その歪んだ集団観念の結果、モラル・ハラスメントという形で表れてきたのかもしれない。

それらが解放された。

個が解放され、多様性が解放された。

だからこそ。

多様性が認められた社会なのですから、これからは自らの意思で愛情を示していこうではありませんか。

by You