親愛なるあなたへ
我々が物理的な意味から始まり、人間の能力や立ち位置を含め前後・上下を決定するのは「端から見て」という基準が無意識に生まれているからですね。
ここで「無限」というものを想像してみる。
俄かにはつかみ難いが、ようく考えてみると、そうすると「前後・上下」とは何なのかが分からなくなってくる。
端が遠く遠くに行ってしまって、「端から見た」二つの差がどんどん縮まってそのうち重なってしまうからです。
高校生が習う数学分野、微分・積分法の「極限」という処理と同じですね。
無限はあるのかないのか。
それは分からないけど、例えば時間は誰もが感じているように過去から未来までずーっと続いている。
空間も、宇宙を遥か行けばそのうちどこか「空間じゃないところ」に行き着くのかもしれなけれど、その「空間じゃないところ」も一つの概念だから「空間」という言葉じゃないだけでずーっと進んで行けそうな気がする。
物理学の世界では時空は同時に生まれたとか、哲学・心理学によると人の認識が時空そのものだとか、色んな議論があるけど、「無限」という概念を考えてみる。
我々は今の状態がずっと続くと思っているけど、死ぬことも含めてどこかで「有限を強烈に意識している」。
だからこそ精神を正常に保っていられると思うのですね。
そもそも、終わりがないものが存在するということ自体が信じられない。
それでも考えてみる。
すると、全てがみなこの瞬間に一点に交わっていて、同時に存在するという事実のみに行きつく。
その「同時に存在する」という事実だけが、厳然たる生きている意味になる。
存在するだけで、生きてるだけで意味があるというのは、そのような側面もあると思うのですね。
同時でなければならないのです。
だから寿命が来るまで、皆と同時に存在する。
by You