遊びをすすめる理由。

親愛なるあなたへ

勉強と遊びなら、勉強なんかほっといて遊んだ方がいい時期というのが必ずあるものです。

一応先生ですから塾では大人しいのですけれども、「匿名のブログ」という強気の媒体では人間根拠のない元気が出るものです。

私は小さい頃テレビゲームが本当に好きで、おそらく制限されていた部分の反動もあったと思うのですが、「攻略本」を隅々まで読み込みどこに何が書いてあるか全て把握してしまったことがあります。

敵のデータなど、細かい数字まで覚え込んでしまった。

みなさんもきっと何かしら経験があると思うのですが、本気で遊ぶと人間はとんでもないことができるわけです。

周りの大人は「これが勉強に向いてくれれば」と言うのですが、私はいつまでたっても社会に反抗する新入社員ですから、もうすぐ30代後半戦に突入目前でも「遊べ遊べ」と連呼した結果うっかり親御さんの前で本性が出ないよう調整するのが最近の課題なのですけれども・・・。

塾では化学を教えていて、教科書や参考書を使うのですが、これがいつまで眺めていても飽きません。

高校時代勉強が大嫌いだった自分でもビックリするのですが、「攻略本」を読んでいる感覚に近いのですね。

どこに何が書いてあるか分かる。

すぐにそのページを出せる。

すごい努力したのかというと、長い時間取り組んでいますが全然疲れません。

多くの大人は「その遊びがなんの役に立つんだ」と言います。

たとえば、テレビゲームが好きでゲームの企画を考えたりプログラマーになったりする人はごく一部かもしれません。

私が遊びをすすめる理由は、「好きで没頭するとはこういう感覚なんだ」と知ってもらうためです。

仕事でも何でも、好きで没頭すればその人は幸せだし世間も評価してくれるから出世もするしと、人生何でもマルなわけですね。

by You

何者かを知る。

親愛なるあなたへ

私は、人生は「自分が何者なのかを知る」ということだと思うのですね。

多くの人は「自分ではない他の誰か」になろうとして苦しんでいるところが多いと思うのです。

デパートに買い物に来て本当は心から欲しいお目当てのものがあったのに、あまりに多くの商品があるととそっちに目移りしてしまう。

高価なものやオシャレなもの、どれもが「華やか」なんだけどイマイチしっくりとこない。

買い物が楽しくない。

「あれ、私何買いに来たんだっけ?」ということになってしまいます。

笑われるかもしれませんが、99%以上の人はそういう状態だと思うのですね。

自分では本当はやりたいことがあるのに、常識やら世間体やら周りへの配慮やら、あまりに多くの「正しいもの」に囲まれてると何買いに来たのか分からなくなってしまう。

あっちの世界から出てくるときに、人間には必ず「お目当てのもの」があるのです。

何でもいいから少しずつ楽しいことをしてみましょう。

ちょっとずつ、ちょっとずつ。

by You

お金のバリア。

親愛なるあなたへ

私はお金を全く失ってみて、それこそゼロにしてみて、お金には「物理的な価値以上の力」が働いていると感じるようになったのですね。

目に見えないのですけれども、不思議とそういうものがある。

もともと「あるだけ使う」タイプですからケチとはほど遠い存在なのですけれども、それでも全くゼロにしてみて「多少のケチ」は大切なのだなぁと思いました。

ちゃんと貯金する。

お金には、「お金のバリア」というのが存在するんですね。

貯金をすると、その貯金の中でしか困ったことが起こらない。

ところがお金がなくなるとバリアが働かずに困ったことがたくさん起きる。

「緩衝材」のようなものです。

だから、全くお金がないなら毎月ちょっとずつでもいいから貯める。

1万円でも、それがダメなら5000円でも1000円でもいいから貯める。

これでは大きな出費が来たときにとても対応できない、という貯金でも、少しずつバリアを厚くしていると不思議とそれに見合ったことしか外から来ない。

「貯金、貯金」では何のための貯金か分からなくなるときもあると思いますが、お金を貯めておくと目に見えないエネルギーシールドに守られるようになっているみたいです。

SFみたいでしょう?

by You