気づきは、集中することで得られる。

親愛なるあなたへ

「気づき」は自然に訪れるものだと思っている人がいます。

違います。

気づきは、自分で気づこうと思わなければ出会えません。

気づきがむこうからテクテク歩いてくるわけではないのです。

僕は、気づきを記事として書いていますが、常に気づきが訪れているわけではありません。

日常生活や仕事の忙しさに埋もれてしまうと、ルーチン脳になってしまうのが分かります。

そんなとき、僕は気づきに感性を集中させます。

何か学べることはないか、と物事に意識を向けるのです。

朝、出勤するときにゴミを出すのを忘れた。

時間がないからそのまま自転車に乗ると、目の前をネコが横切った。

空を見ると、太陽が輝いている。

そんなありきたりの一日の始まりでも、一つ一つの出来事に気づけることがないかを考えるのです。

すると、どんどんアイディアが出てきます。

無限に出てくるのです。

ルーチン脳だったら、「ゴミの出し忘れ・ネコ・お天気から学ぶ」という表現さえ気づきません。

偉大な経営者、松下幸之助は言います。

「犬・猫・ライオンが尾を振っとると。その尾の振り方から何か発見する人と、みな同じに振っとるなというだけに終始する人と、二通りおるわな」

日常に没頭するというのは、直線的な動きです。

気づくというのは、曲線です。

曲げることです。

ひたすらまっすぐ進んでいるところを、クイっと曲ってみるのです。

すると、曲った先に気づきは待っています。

究極の曲線美が、円運動です。

僕が気づきを書き続けられるのは、円運動をしているからなのです。

by You