騙されるのも、勉強だ。

親愛なるあなたへ

誰でも人を信用したいと思います。

騙すことはイケナイことだ、と教えられます。

でも、世の中に出たら、自らが防御しないと騙されることだらけです。

騙そうと思ってやっている人ばかりではありません。

中には言ってることとやっていることが違っても、その場その場で本気で思いこんでいる人もいるので、一概に意図的とは言えないので複雑なのです。

日本では、騙す方が悪い、ということになっています。

でも外国では、騙される方が悪いのです。

ドロボーに入られて棚の中の預金通帳を取られたら、棚に鍵をかけていなかった家主が悪い、という発想なのです。

「騙された」と被害者意識を持ってしまう人は、主体性がありません。

自分を中心において、「今回騙されたのはどういうことか」という分析ができないから、恨みや怒りだけが残って何も考えられなくなってしまうのです。

でも、騙されることほど、人を見る目を養う機会はありません。

被害者意識だけを持ってしまう人は、今度は相手を疑うだけになってしまいます。

でも、騙されることも勉強だと捉えられる人は、相手を客観的に見ることができるようになります。

「疑いの目」は来る者全てを追い返してしまいますが、「客観的な目」は相手を選別することができるようになるのです。

騙されたら、目に選別フィルターが増設できたと、喜ぼう。

by You