親愛なるあなたへ
人は生まれたときからひたすら制約を受けて生きてきます。
あれをやったらダメだ、これをやったら迷惑がかかる。
家では教育方針に、学校に行ったら校則に、社会に出たら常識にひたすら縛られます。
宇宙はおろか、人間の存在についても誰一人明確な答えを出していないのに、自分たちで勝手に制限を設けているのです。
ポール・ゴーギャンの作品に「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という有名な作品がありますけれども、ゴーギャン一人で抱えるものではなくて人類が誕生してからずっとついてまわっている命題なのです。
僕がいつも常識を冷静に見つめるようにしているのは、その命題から視線を外さないからです。
常識はさほど常識ではありません。
時代とともにあっという間に変わります。
前々からあるように感じる法律だって、気づかないだけで実は時代とともにドンドン変わっていっているのです。
僕は自分の夢を叶えるためには何でもします。
理論大好きな科学信奉者のはずなのに、目に見えない世界を信じ、占いを活用しています。
化学反応の電子的カスケードを論ずることのできる僕が、平気で自分の手に運命線を書き込んだりします。
それは、全ては手段だということが分かっているからです。
だから、何をやってもいいのです。
人生というのは、本当は何でもありなのです。
何をやってもいいというのは反社会的なことをしたり人道に逆らうことをするのではありません。
でも、以前の記事で書いたように世の中にはいいことも悪いことも実はないのです。
普通、「本当は何でもありなんだよ」というのは教えてくれません。
僕は自分と向き合いながらずっと考えてきました。
そんな中、中谷彰宏先生から「何でもありだ」ということを教わりました。
やっぱりそれでいいんだ、と思いました。
目の前の霧がさーっと晴れていく感じがしました。
「何でもありだ」という究極の情報を発信できる中谷先生は本当に強い人だな、と思いました。
中谷先生も、中谷先生の師匠にそのことを教わったそうです。
可能性は束縛という狭い世界では存在できません。
自分の可能性が分からないんですという人がいますが、今のまんまで可能性が見つかることなどないのです。
何でもやってみる中で、可能性が見つかるのです。
僕も決して例外ではありませんでした。
何をやってもいいから、何でもやってみよう。
by You