親愛なるあなたへ
僕はみんなが幸せになるのは不可能だと教わってきました。
そんなうまい話があるわけないと言われてきたのです。
でもずっと引っかかっていました。
もし誰かの幸せのために別の誰かが犠牲になるのだとしたら、この世に幸せは本当に存在するのだろうか。
平和なんて言葉は存在するのだろうか。
天国なんて言葉は存在するのだろうか。
そんなことを考えていました。
僕は平等主義の不平等論者なので、神様がそんなことを許すはずがないと思っているのです。
全ての富は犠牲の上に成り立っている。
一体誰がそんなことを言ったのでしょう。
「世界を見てごらん。過酷な環境を強いられている人がいて、低賃金で働いている人がいて・・・」
確かにそうかもしれません。
そういう事実があるのは確かです。
でも、もしその原因がアイディア不足によるものだとしたら?
未知の能力を生かし切れていない人類全体の責任だとしたら?
神様は、誰かを幸せにするためにあなたが犠牲になりなさいなどと一言も言ってはいないのです。
僕は、究極的には全人類が豊かになることができると信じています。
豊かさは実は無限だと言いましたけれども、本当は誰でも豊かになることができるのです。
夢を追っている人に共通する想いは、この世を楽園にすることです。
自分だけがいい思いをするのは夢とは言いません。
自分が犠牲になっているという思いでは幸せは生まれません。
自分もみんなも幸せになるアイディアを見つけることが、本当の豊かさなのです。
たった一人のアイディアだけでは天国を作ることはできないかもしれない。
でも、もし、もし全ての人々が夢を見つけることができたなら、それは必ず現実になると、僕は心から信じているのです。
by You