お手伝いと邪魔の見極めが大切。

親愛なるあなたへ

お手伝いすることと邪魔になることは紙一重です。

例えば、自分の目の前で苦しんでいる人がいます。

すると苦しんでる人を救いたくなる。

でも、救いたくても救えないときがあるんですね。

自分を助けることができるのは自分しかいません。

アドバイスはできるけど、最終的に動くのは本人なんです。

成長って階段を上るようなものです。

いくら手を差し伸べても本人が歩こうとしない限り上れない。

無理してひっぱると怪我してしまいます。

オレはこうやるんだって言う人はまだ大丈夫。

本人が気づくまでやればいいからね。

問題は、心の優しい人なんです。

心の優しい人、いい人って、悪い人の標的になりやすいんです。

人を平気で利用する人、モラルハラスメントの加害者って、そういう人に近づいていきます。

それで、本人は被害者になっていることに気づかない。

加害者は家庭にも学校にも職場にもいます。

それで、あなたこうだよって教えてあげても「本当はいい人なのよ」「根は悪くないの」って離れようとしない。

完全に取り込まれてしまってるんです。

外から見れば明らかに傷つけられているのだけれど、慣れてしまう。

人間って本当に習慣の動物なんです。

それで、被害者になっている人は本当にいい人だから余計に救いたくなる。

でも本人が気づかない限りダメなんです。

自分がそれに気づいて逃げようとすると、まるでその人を置いていくような感覚になります。

相手が優しいのが分かるから、できれば一緒に逃げようって言いたくなる。

でも、本人が気づかないとダメなんです。

耳が痛いかもしれないですけど、そういう人は実はそんなに嫌じゃないんです。

傷つけられてるからもちろん苦しいんですよ。

でも、我慢できるんです。

それが、もう耐えられないっていうレベルまでいかないと学び出さない。

だから、今はまだ学んでる最中なんだって思ってあげることが大切なんです。

あなたまで苦しくなったら意味ないですよ。

あの人が苦しんでるから自分も一緒にそこで頑張るっていうのは本末転倒です。

神様は犠牲を絶対に求めません。

だから、相手を置いていくのではなくて、学びの時間を尊重するんだと考えてください。

それで、気づいたあなたは自分の道を行けばいいんです。

親とか学校の先生とか上司とか、上から下への圧力は分かりやすい。

でも、その逆もあるんです。

家庭内暴力とか、そういうのに耐えている親御さんもいらっしゃるんです。

傍から見ると暴力振るわれるのに逃げないのを不思議に思いますけど、あれはそう単純な問題じゃないんです。

家庭内暴力っていうのはただ暴力を振るって終わりじゃないんです。

「オレを捨てるのか」「こうなったのはお前のせいだ」って、ずーっと親にからんでいきます。

親の罪悪感を子供が利用する。

子供は本当は愛を求めています。

愛を求めながら暴力も振るうから、愛情をかけたいと思っている親からすると心理的に逃げられないんです。

モラルハラスメントの逆パターンなんですよ。

だから、本当は子供を置いて出てっちゃえばいいんです。

色んな事情があるから一概には言えないけれど、逃げちゃえばいいんです。

そうしたら子供だってご飯食べさせてくれて家住まわせてくれて、おまけに自分の暴力を受け止めてくれる人がいなくなったら、やっと親のありがたみが分かるんです。

「子供を捨ててはいけない」っていう正義にのまれたら、親御さんの命が危ない。

それでも逃げない親御さんもいらっしゃる。

そういう人も、本当はそこまで辛くないんです。

だから一生懸命学んでるんです。

人間ができる救いっていうのは、学びの期間が終わったときに手を差し伸べてあげることと学びが終わるまで見守ってあげることなんです。

誰かを救いたい人、人様の役に立ちたいと考えている人、これが分かるとすごくいいと、僕自身は思っています。

by You