信心。

親愛なるあなたへ

「神さま」を信じるというのは、自分が幸せになるための手段である。

信仰というのは一人一人の心の中の問題。

だから誰がどうこう言うものではないし、それが幸せの手段でないのなら使わなくたっていい。

私が考える「神さま」とはそういう存在です。

信仰に信仰を重ね、それでも「信心が足りない」というのは、どこか変ですね。

信仰は幸せになる「手段」であるから、それが目的化するのは、どこか変。

サラリーマンの「会議のための会議」をそのまま思い出しますけれども。

宗教も自由なので、何でもやっていいと思うのです。

それでも何かにすがって、それが「目的化」すると周りの人たちも自分も不幸になってしまうのではないでしょうか。

信仰も、宗教も、神さまも、すべては手段です。

すごい言い方に聞こえるかもしれませんが、結構神さまは笑ってくれているんじゃないかと思うんですね。

by You