親愛なるあなたへ
零戦をはじめとする特別攻撃隊が当時のアメリカ海軍の船団に体当たりしていく様子が当国で克明に記録に残されています。
そのうちの一つ、1945年4月の沖縄戦。
「戦艦ミズーリ」
戦艦ミズーリはアメリカ海軍が完成させた最後の戦艦で、当時の損傷は少なくその後朝鮮戦争・湾岸戦争などでも活躍したのち現在は記念館として見学できるのだそうです。
この戦艦に突入した零戦があります。
遥かなる記憶。
右翼部ジュラルミン製約15センチメートル四方の金属片。
この残骸、後に日米の恒久平和の願いとして我が国に寄贈されることになったのです(寄贈された金属片はいくつかあるようです)。
そのときの式典の様子を撮影した一コマの写真。
破片を手渡す二つの国の「手と手の間」から、平和というものが全身に語りかけてきて人目もはばからず泣いてしまいました。
p.s.
突入したのは、鹿屋航空基地を出撃した第五建武隊の石野節雄二等兵曹、もしくは第五建武隊石井兼吉二等兵曹であると言われています。
零戦が突入し、その我が国勇士の亡骸は当時ミズーリを指揮したウィリアム・キャラハン艦長により「敵兵でも死んだら敵ではない。国のために命を捧げた勇士である」としてアメリカ海軍式の正式な水葬で丁重に弔われたそうで、当時の写真も残っています。
キャラハン艦長の人間としての行動に胸を打たれるとともに、特攻という歴史と艦長の言葉の間に本当の平和を学ばせられる思いがいたします。
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