褒めてほしければ、まずは自己満足することだ。

親愛なるあなたへ

頑張っているのになかなか認められないとやる気がなくなってしまいますね。

認めてほしい相手は人それぞれです。

人は一人で生きていくことができません。

自分の存在を周りに認知してもらうことで、生きていくことができるのです。

認知されるから助けてもらえるのです。

世間に認めてもらえるから成功できるわけです。

組織にいると上司に認めてもらおうと必死になります。

認めてもらいたいという志は素晴らしいことなのですけれども、相手にこだわってはいけません。

認めてもらいたい相手を限定すると、セクショナリズムに陥ります。

セクショナリズムとは、守備範囲を限定した結果排他的になる傾向のことです。

認めてもらいたいときは、誰に認めてもらいたいのかを限定しなければいいのです。

相手を定めないということではなくて、間口をもっと広げるのです。

そうすれば嫉妬することもありません。

組織内の複雑な力学とも無縁です。

生きていくためにはその複雑な力学を理解しなければならないけれども、心は自由です。

褒めてほしい相手を作るなということではありません。

どうせなら、神様に褒めてもらおうと思うことです。

あの世に行ったとき、「よく頑張ったね」と神様に褒めてもらおうと思えればどんな困難もへっちゃらです。

でも実は、神様は褒めてはくれません。

「人生楽しかった?」と質問してくるのです。

要は、自己満足です。

神様に褒められたかったら自己満足すればいいのです。

今世を生きて、自己満足できたら、それでいいのです。

褒めてくれるのは、本当は自分自身なのです。

自己満足できる人生は、素晴らしい。

自己満足はいけないことなんかではありません。

究極の自己満足が、生きていく醍醐味なのです。

p.s.
あなたが生まれた時、あなたは泣いて、周りの人は笑っていたでしょう。だから、あなたが死ぬ時は、周りが泣いて、あなたが笑っているような人生を歩みなさい。(アメリ先住民族の教え)

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