数字への信頼感。

親愛なるあなたへ

私は29歳の秋を迎える頃、すべてを捨てて自分の人生を選びました。

夫婦関係も、財産も、社会的地位も、家族との絆も、これまでの友情も全部です。

記事を書き始めたときでもあります。

そして35歳になった今、世の中についてまだまだ勉強が必要ですけれども、人間の心理や人生について「だいたいこういうことなのかな」と自分なりに一つつかんできたものがあります。

今から2500年前、お釈迦様は29歳のある冬の日に妻子を残し、そして国を残して出家しました。

お釈迦様は王子様です。

そのすべてを捨てて修行の道を選んだ。

そして6年間の死と隣り合わせの難行苦行の末、35歳の年の12月8日に悟りを開きました。

こんなこと言うと傲慢で無礼もいいところなのですが、すごく「嬉しいなぁ」と感じてしまうのです。

不思議なご縁に心がじんわり温かくなる。

お釈迦様の「手のひら」どころか、小指のツメの先で遊んでいるサイズのわたくしですけれども、きっとお釈迦様も同じような気持ちだったのではないか。

お釈迦様の「世の中からすべての苦を取り除く」という大義に比べ「自分の人生を生きる」というちっぽけな目標でも、偉大な先人がすぐ隣で肩をポンとたたいてくれているんじゃないか。

そんな気がしてしまうのです。

年齢とか日付とか、その他あらゆる数字というのは理論上、一つの計算概念でしかないことは唯物論者の私もよく分かっています。

データを照合するときの道具として、個人的に数字ほど信頼がおけるものはないと思っています。

科学出ですから、その数字が何か他のものを引き寄せるなどという怪しい話はナンセンスだと、客観的には思う自分もいます。

ただ、その中で心が温かくなるものがあれば。

嬉しくなるものがあれば。

勇気を持って始めたとき、神様がその根拠と証拠を数字で見せてくれることもあるのだと、私は思っているのです。

by You