受け入れるという本質。

親愛なるあなたへ

「物事を受け入れる」というのは「体で受け止める」イメージがありますね。

「事実を受け入れろ」と言われれば、なんだかそのような感じもします。

でも、受け入れることの本質は「体を『通り抜ける』」感覚に似ていると思います。

要は、そうであってもいいしなくてもいい。

受け入れるとはそういうことだと思います。

だから本当はあまり辛くない。

全身で受け止めているときは「そうであってほしくない」という思いの部分もあるでしょう。

だから辛い。

抵抗するから辛い。

受け入れるというのは、ぶっちゃけた話「どうでもいい」「どっちでもいい」。

外界からの情報が右から入って左に抜けていく、人の話が右から入って左に抜けていく、社会人の立場では厳しく咎められるまさにその無責任さが人生で上手くいく本質だろうと思われるのです。

p.s.

もちろん、自分の目標なり目的なり、あるいは危険な状況から逃れる、不幸の連鎖を断ち切る、そのような抵抗は絶対に必要です。

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