100円回転寿司。

親愛なるあなたへ

先日お陰様で誕生日を迎え、おひとりさまお祝いを。

100円回転寿司で爆食いする。

100円回転寿司はいい。

自由人は選択肢が多いほど喜ぶ。

いつぞや高級ホテルのランチを週イチで食べてみた経験もあるのですがあんまり楽しくない。

庶民派、安上りでいいですね(笑)

そういう楽しみ方を謳歌する齢43の不良中年。

by You

都会派。

親愛なるあなたへ

旅から横浜に戻ってくるとホッとします。

もちろん旅も素晴らしいのですが、やはり都会に帰ってくるとホッとする。

それは「何でもあるという安心感」と「人が多いという安心感」。

人によってさまざまですから都会が合わない、という人ももちろんいらっしゃいます。

それは何でもあって便利だけど、人が多いのと複雑な人間関係、なんだかみんなセカセカしてて、暗い顔をしている。

まさにおっしゃる通りで(笑)波動に敏感な筆者はそれらを全部食らうわけですよ(笑)

それでも都会が好き。

福岡、大阪(と西宮)、横浜、将来は東京にも住んでみたい、と社会人の全てを都会で過ごしてきたのですが全然平気なのでやはり都会向きなのでしょうね。

楽しい、便利、それ一点。

もちろん、最初に入ったメーカーのサラリーマンを続けていたらそうならなかったかもしれません。

個人事業主として、ある程度裁量のある仕事やスケジューリングで見た目線のおかげかもしれない。

しかし立場はどうであっても、都会派は、きっと都会で自由を見出す。

そして都会を愛する人は「多すぎる人」が「みんな仲間」。

いつぞやも「都会で寂しさを感じるのは周りを仲間と思えないから」と書いたことがあります。

もちろん土地柄にもよると思います。

そういう意味では大阪は非常におひとりさまには過ごしやすい環境だったわけで、とてもありがたかったです。

大阪、懐かしく何だか哀愁を感じますね。

I love OSAKAですね。

話がずれてしまいましたけど、都会派は混沌の中に自由と仲間を見出す。

勝手に、でいいのですね。

色んな物があって交通の便がある自由。

セカセカしてたり暗い顔をしてたり比べ合ったり、それは他人であって切り捨てて自由。

かと思えば、都合のいいときだけ全然関係ない赤の他人はみんな仲間。

都会は素晴らしいところです。

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車が好きだった理由。

親愛なるあなたへ

この度の方位取りは八丈島にてレンタカーを借りました。

旅は気楽がいいと電車やバスを好んでおりましたが、やはり車もいいものですね。

大学時代には通学も含め車でよく旅をしていましたが、卒業後の心境の変化は何ぞやと。

私は「車を走らせるのが好きだ」と思っていたのですがどうも違うようです。

車は個のスペースを確保できる空間。

今思い返せばそれを求めていたのかなと。

トイレで人は落ち着く、そのロジックと同じなのですね。

by You

本当に好きな事。

親愛なるあなたへ

本当に好きな事には比べ合いがない。

直前の記事で「旅が好きなのではない」と書いたばかりなのですが、私は多分旅を愛しているのですね(笑)

それはきっと、より多くの旅をしている人を見ても羨ましいと思わないからなのです。

中には自分はこれだけの旅行をした、あの人はもっと多くの国へ行って色んなものを見てるから自分はまだまだ、という人もいます。

自由が本質の旅なのに、そこで競争や経験の優劣みたいなものを持ち出すと何かがおかしいですね。

結果として多くの物を見てそれを人に語りたい、共有したいと思うのは十分結構なのですが、物事を愛さないと、そこには必ず優劣と競争が入り込んでくる。

個人的には旅とお風呂と高校化学。

いつぞやも書いたのですがこの3点セットです。

高校化学も自分よりも知識や専門性、教えるのが上手な先生がいらっしゃってもそんなに羨ましいと思いません(いやそれは問題でしょう)。

なので生徒さんに教えてもらうのも全然オーケーです。

色々知りたいですね。

けれども自分のペースで。

それ以上のペースは嫌だ。

先生って大概「自分ができない・知らない」と思われないように生徒さんから教えられるのを嫌がったり頑張り過ぎたりするものなのですが、私には高校化学への愛がありますから(笑)

愛というより、たぶん純粋に好きなのですね。

旅とお風呂と高校化学が純粋に好き。

お風呂も有名な温泉に行かなくても(もちろん結構ですが)し〇かちゃんのように自宅のお風呂に入り浸る。

そういう生き方は大変気楽で、何より自分を好きになれてとてもいいですよ。

おすすめです。

by You

向こう側の自分。

親愛なるあなたへ

私は自分が「旅」が好きなのだと思っていました。

ところが海外旅行に行ってる親戚や、そして今回の旅で出会った世界100数十か国、計200回以上海外へ行かれてる方にお会いして、自分もそうしたいか、と思うとそうなりませんでした。

会話では「そこまでの勇気はないんです」と言ってますけど、経験上好きならたぶん即行くと思うのですね(笑)

そこで戸惑ってしまいました。

「旅が好きなんじゃなかったのかなぁ」と。

「色んな物を見たいんじゃなかったのかなぁ」と。

そこで自分の心を再度じーっと見つめてみれば、実は旅ではなくて「何の気も使わない自由が好きだった」のだと。

たとえば海外旅行には色んな手続きや制約がありますね。

文化も違う。

身の危険もある。

日本ではそれらが全くありません。

なので、何にも縛られない状態であれば旅でなくてもよかったのかもしれません。

しかし、現実的に一か所に留まればそこの土地やコミュニティーに意識が染まることは間違いありませんし、視野が狭くなってくるのもこれは事実でありましょう。

結果としての選択肢が「国内での旅行」になるのだと。

自分が本当に好きなことというのは自分が好きだと思うことをやってみて、さらにその先にあるものだと、非常に勉強になる気づきでした。

p.s.

方位・気学に縛られているじゃないかと思うかもしれませんけど、そこは「天秤」で、いつぞやも書きました、完全合理主義の自身は「全体としてトクな方を取っている」わけですね(笑)

自由もトクだけど、運もトクだと、そんな感じなのです。

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神秘と人情の秘湯。

親愛なるあなたへ

八丈島は西山(八丈富士)と東山(三原山)の二つが噴火してひょうたんの様に連結した、現役の活火山です。

そこには自然から送られる天の恵み、温泉も豊富に点在します。

しかも、きちんと整備された、源泉掛け流し・・・いや、源泉「溢れ流し」と言わんばかりの豊富な湯量を誇るなんと「タダ」の温泉もあります。

末吉地区にあります激シブ系の「洞輪沢(ぼらわざわ)温泉」

まず漢字が読めません。

その辺から秘湯感が。

こちらは、一見港に併設された公衆トイレ(?)のようにも見えるのですが、ぬるめ(人によっては物足りないかも)でゆっくり入れ、何よりも二つの給湯口からダバダバ注がれるその圧巻の湯量。

加温も加水も何もない、できたて、そのままの「源泉」。

さらに、こちらだけは八丈島内の他の温泉と泉質が180°違い、目の前が海なのに全然塩気がないのです。

肌触りが柔らかく、優しい。

その不思議さに外見が公衆トイレ(笑)でも秘湯と呼ぶに相応しいでありましょう。

そしてもう一つ、中之郷地区にあります、大自然の中に突如として現れるこれぞ名実ともに「秘湯」。

それが「裏見ヶ滝温泉」

豊かな自然に囲まれる山間の道を車で走らせると突如として看板が出現。

その脇にある階段を下っていくと大阪人としての言葉を借りれば「これが無料!?」

眼下には南国ジャングルに来たかのような緑の中を滝が水飛沫をあげる大パノラマが広がり、岩肌剥き出しの壁、にも関わらずしっかりと整備された屋根と更衣室、そして冷水用シャワーまである。

男女混浴、水着着用なのですが、ここは是非とも。

無料が誠に申し訳なくその辺りのゴミを持って帰りましたけれども(相場にあってるのか?)。

そんな神秘と人情の秘湯を有する島、八丈。

かつて東洋のハワイを称される盛況から時は流れ、今は人口の流出が多くなっている現実なのだそうですが、温泉好き、秘境好きの方の来訪含め、再び活気が戻ってきますことを心から願ってやみません。

皆さま、是非行かれてみては。

by You

島の計画性。

親愛なるあなたへ

方位取りで伊豆諸島は八丈島へ。

八丈島は一年を通して風が強く、現地の方にお伺いすると飛行機の発着率は90%、船に至っては80%なのだそうです。

飛行機も船も毎日到着するスケジュールだそうですから、単純計算で飛行機は1ヶ月ちょっと、船は2ヶ月半の間止まっていることになります。

「物資の調達はどうしてるのですか」と聞くと、「それはもう物がなくなるから、見越して逆算します」と。

移住してくる人は「とにかく天気予報を見るようになる」。

しかし会話の内容がただテレビで天気予報を見ている、というレベルではないような気がしました。

その話しぶりはまるで気象予報士の方が喋っているよう、もしくは大自然と対話しているようでもあります。

低気圧がこうで、風の流れがどうで、これからはどうなるとか。

島の計画性。

島暮らしは「のほほん」としていそうで、そこには自然と一体化した計画性という鋭い事実が相対し大変強く印象づけられた旅でした。

by You