デジタル化の盲点。

親愛なるあなたへ

コロナ禍によりデジタル革命が進み(これまでもやろうと思えばできたのかもしれませんが、世間の受け入れ態勢が一気に加速した)、これからもこの勢いは止まらないと思うのですけれども、それでも「教科書の原則デジタル化」に政府が触れた点について、「システムは手段に過ぎない」という点が見過ごされているように思うのです。

確かにパソコンやスマートフォン、種々のクラウドシステムについては筆者も恩恵を十二分に受けているのは感謝そのもので、その有用性についても非常に「推して」いるのですが、しかしながら、実際に現場に携わっている実感としては、あくまで学問というものは、いやそれが学問に限らず、知識というものは理解して自分の身につけるのが目的(ここでは「受験なんてしなくてもいい」筆者の人生論および現在の教育システム批判は封印して)であって、効率化を求めるのが目的ではない、ということなのです。

それは、デジタル機器が知識の吸収に歯止めをかける可能性もある、ということを実際現場に立ってみて感じています。

筆者もそうなのですが、デジタルは便利でシステムをそれなりに使いこなす立場であっても、「学ぶ」となるとやはり紙の方がよい。

頭に入ってきます。

パピルスから始まった連綿と続く人類の文明を、そう簡単にデジタルに切り替えることでこれまでと同じようにいくかというと、なかなかそうは難しいのではないでしょうか。

これは新しいものを受け入れ難いという感覚とは皆無な「システム大好き効率化大好きの完全合理主義者」が主張していることなので、そう外れてはいないのではと自分では思っています。

もちろん個性はあり、現在の若い方はスマーフォンに慣れていますからシステムへの適応能力は素晴らしいものがあると思うのですが、それでも人それぞれで、なんというか、デジタルの知識というのは直感として「知恵になりにくい」ような気もするのです。

すぐ手に入ってしまうので、自らそれを「実行」して「体得する」という行動につながりにくいのでは、と

紙というのは「手を動かす」「調べる」という結構面倒な作業ではありますけれども、それが脳の刺激と活性化に一役買っているようで「実行」への架け橋になっているようにも思うのです。

「手段の目的化」

これは企業の中でよく叫ばれていることではありますが、システムというものが一つの企業や組織団体だけでなく、人々の一般社会にまで急激に浸透してくるようになった昨今、これは改めて考えることだと思います。

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