科学の余白とロマン。

親愛なるあなたへ

結局「オカルト」と言われているところは「現在の科学で解明されていない部分」という意味であって、「その存在の有無を科学が決定するシロモノではない」と思うのですね。

イワシの群れの一斉転換について。

生態学の面からは、「視覚情報」と「ある器官が水圧や水流の変化を一瞬で感じ取ること」による、という内容をどこかで見たことがありますが、それでもやはり360度水に囲まれてどちらに逃げていいか分からないときに、その二つの理由のみで何億匹もの集団が一糸乱れずぶつかることなく、一瞬に的確な方向性を見出す行為を永遠に繰り返す、ということはとても不思議に感じます。

流体は非常に複雑な流れをするため、たとえば飛行機の翼の下の空気が微視的にどういう流れになっているのかは未だに分かっていないのだそうですね(内容は全く分かりませんが「ナビエ・ストークスの方程式」というのが現在のスーパーコンピューター富岳を用いても解けないのだそうで、ミレニアム懸賞金問題の一つとして挙げられています)。

なので、イワシイワシの間に流れる正確な流体情報が分からない中、これらの生態学からのアプローチもやはり「定性的」なものとなってしまう。

科学がオカルトを切る際には「定量的」な説明を求めたい。

でももしそれができないのであれば、「余白」を残してもいいのではないか。

そういう「余白」に今回で言うと「テレパシー」という名前をつければ、先の記事でいうロマンが生まれると、そんな柔らかさがあってもいいんじゃないかと思いますね。

イワシはテレパシーの一種を使ってる、とかですね。

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