時空の彼方から。

親愛なるあなたへ

人間には誰でも劣等感というのがあって、これに気づいて乗り越えるために何度も生まれてくるのですけれど、「ゼロにする必要はない」ようです。

ほぼほぼイケたと思っていたにも関わらず、ここ1ヶ月くらい部屋で心静めて自分と向き合っていると、劣等感がひょっこり顔を出してきて自分でもびっくりしたのですが、そのときに「ああ、このままでいいのだな」と。

試しに外に出てみると、不思議なのですがさっきまで覚えてた劣等感をすっかり忘れる。

これが本当に不思議なのですけれど。

おそらく「社会の荒波」に一瞬にして打ち消されるのでしょう。

ほとんどの人が自分の劣等感に気づいていないか、自分自身に対して上手く隠している状態が改めて分かります。

私たちは、神様にたった一つのことを言われてこの世に出てきます。

「自分を愛して、尊重してきなさい」

私たちの考え方や行動というのは、生まれてから今までの記憶が元になっています。

私たちが認知している劣等感というのは数十年レベルのものですけれど、実は、「潜在意識」には私たちが何度も輪廻転生してくる間、戦争とか飢えとか村八分にされたとか、そしてさらに人間として進化する前の、それこそ遥かアメーバーだった時代にまでさかのぼり、天敵に食われたとか、もうありとあらゆる記憶が刻みつけられているのです。

ですから、そういう恐れ、劣等感とは「嫌な気持ち」「卑屈な気持ち」ではなく突き詰めると「恐れ」なのですけれど、そういう膨大な記憶が私たちの中に入っているのだから、これを完全に払拭しようとしても理論的にも無理があるのである。

だから、乗り越えると言っても完全に克服する必要はなさそうです。

ではどうやって乗り越えるのかというと、あらゆる哲学や精神論、宗教家が論じているように「私は社会にとって有益である」と分かることです。

「神様、分かりました。もっと素敵な自分になって帰ってきます」

「自分を愛せる素敵な自分になって帰ってきます」

「そのために必ず役に立つ人間になって帰ってきます」

胎内記憶を研究されている第一人者、池川明先生が出演されている作品でもおっしゃられているのですが、「私たちは何のために生まれて来るの?」と聞くと「人の役に立つため」と全員の子供たちが答えるそうです。

私は本物の自信の正体、いわゆる劣等感の克服を理屈っぽく説明するために「神の愛」だ何だとおかしな話をしてきましたけれど、「体感」するのであれば「役に立っていること」を探すことだと思います。

ただ、役に立つと一言に言ってもいろんな状況があり、役に立ってるはずなのに心が晴れない、というケースもありますから、自分が本当に役に立ってる感を探す「とっかかり」として、「楽しいこと」「好きなこと」「ワクワクすること」をやるといいよ、と書いています。

記事を書き始めたときに「根拠のない自信」(後にこれが本当の自信だと書いているのですけれども)ということで、「何かを好きになること」を勧めています。

そもそも人間は進歩向上する生き物なので、全員が全く劣等感がゼロの場合は何も進化がない、ということになってしまいますから、そのバランスを保ちつつ付き合っていくことかと思われます。

私たちに刻みつけられた劣等感ははるか時空の彼方から。

全て消すのはお釈迦様にだって難しかったのですから、普通の私たちは、自分の大好きなことを見つけて、ワクワクすることを見つけて、「自分は誰かの、何かの役に立っているんだ」という感覚を、少しでも。

p.s.

もう一度ご紹介させていただきます。

http://norio-ogikubo.info/

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