間違ってる人。

親愛なるあなたへ

私は道徳論が嫌いなので世間と反対のことを言います。

大概は社会の常識に染まり過ぎてますから、そういう方に「人の好き嫌いを優先しよう」とか「極端なことをしよう」と言ってます。

これで方向をある程度調整してきたら、その後是非試してみて欲しいことがあるのです。

特に天命に出会えた、この仕事で行く、このライフワークで行く、というときです。

常識として聞こえるかもしれません。

それは、上手くいかないときは「絶対に自分が間違っている」と思うこと。

世間で言うことと私のは意味合いがちょっと違うかもしれません。

社会人として、社内の人間として、業界代表として「お前が間違っているからその通りの結果が出てるんだ」と延々うんちくを語る人間がいますけれども、そういうのはガン無視していいと思います。

基本、自分のやることが見つかるまでは暴れていいのですよ。

染まらないためにね。

でも、これが楽しい、没頭しちゃう、喜んでくれる人がいる、そういうものが分かってきたとき、もし上手くいかなくなったら「絶対に自分が間違っている」。

するとおかしいところが見えてきます。

「自分が間違っている」と思っても天命に乗ってるときは嫌だと感じません。

「おかしいな、何が悪いんだろう」と思う。

以前にも書いたのですが、本当に好きなコトに関して人間は素直に反省できるようになっています。

「世の中理屈通りにいかない」と言う人もいますけれども、「正しい」その理屈のきっとどこかに間違いがある。

理論が正しいものはこの世では必ず正しい。

理論が正しいと人間は月まで行って帰って来れる。

今度は「火星に住もうか」と言ってるくらいですから。

自分の理屈、自分の考えが正しいと思って結果が出ないときは必ず何かが間違っている。

そう考えると次の扉が開きますよ。

by You