神さまを設定する理由。

親愛なるあなたへ

私は神さまを信じているので記事の中でも神さま神さま連呼しています。

他の人はどうか分かりませんけれども、なかば確信に近いような「信じる」なので個人的には現実そのものの感じがします。

実際いるかどうかの科学的な証明は誰にもできません。

ただ、なぜそこまでわたしが神さまを設定したがるのか。

それは、神さまを設定してしまえば「後は行動しかない」と思えるからなんですね。

「神という言葉を持ち出すことは思考停止」と捉えるアカデミックの方や哲学者もいらっしゃるようですけれども、それはそれでいいと思うのです。

たしかに一面の真理で、神という名に「すがる行為」による依存や悪行は枚挙にいとまがありません。

ですから、常に考え続ける、とする姿勢は大変素晴らしく人類の叡智の発展のために欠かすことはできないものです。

ただ、そこまで考えて、神さまということについてあらゆる方角から考えて、自分なりに結論が出たのだとしたら。

そしたらあとは自分の人生ですから歩くしかないのですね。

どんなに考え込んだところで、答えを出さないのが人生だ、という哲学があるとしたら、それもちょっとおかしな話だと思うのです。

完璧ではなくても自分なりの一定の答えが出たらあとは歩く。

神さまは行動できる「言いわけ」をくださる。

そのために非常にありがたい存在だと思っているのです。

by You