お皿が割れる音。

親愛なるあなたへ

何かが割れて嬉しい思いをする人はあんまりいないと思うのですね。

目の前をスローモーションで滑っていくお皿とともに、「ガシャーン」「パリーン」という乾いた音。

「なんか縁起悪いのではないか」「何故このタイミングで」「よりによって何故この皿が」そして「後処理への絶望感」が一気に頭をカオスにするというあの出来事であります。

しかし、意外や意外、この物が割れるというのは、あの乾いた音とともに「災いを払ってくれる」という効果が個人的にあるように思うのですね。

「散らす」という言葉がふさわしく、事前に災いを「散らして防いでくれる」。

何かが犠牲になる、という言葉があまり好きではないのですが、物にも魂があって、それが終わりや別れを告げるときに、そうやって最後の力を振り絞って私達に貢献してくれる。

無意味に割るのはまた意味が違ってくるのだとは思いますけれども、これは現象論としてきっと一つの「厄払い」なのでありましょう。

by You