丁寧な生活。

親愛なるあなたへ

「丁寧に生活する」というとなんとも言葉の使い方が不思議な響きを持つ表現であります。

「ものを丁寧に扱う」とか「丁寧に渡す」というのはわかります。

「堕落したり律したり」「忙しかったりゆったりしてたり」、とそういう表現はあるとは思うのですけれども「丁寧に生活する」。

いつぞやどこぞやで出会った言葉ではありましたが、今の仕事になるまでその意味が分からずじまい。

というのも、先の忙しかったり、ではないですが、忙しいと「丁寧に生活する」という意味合いからどうも距離を置いてしまうようです。

個人的に次の新学期までお仕事があまりないので、社会人ながら数か月間ほぼ春休み(その代わり収入もなくなりますし次年度のお仕事が確約されているわけではない「個人事業主あるある」なので一概にいいかどうかは考え方次第でしょうか・・)。

そのゆったりした状態を今年が4回目なのでありますが、、、そのはずなのですが、、、「初年度は初予備校講師で勉強で忙しく」「次年度はなぜか試験監督で忙しく」「三度目の去年は旅行で忙しく(?)」、かつ普段より多い休みの日には完全に自堕落な生活を堪能する、という人間の本性を丸出しにした三年間でありましたので、先日の「ジョギング」ではないですけれども、今年からは春休みでも心は春休みにならないようにしようと心機一転努めているつもりであります。

すると、そこに「丁寧」という今回のテーマが待っていたようで、丁寧とは「ゆったりしているけれども自律心を持つところに生まれる」ということが感覚的に分かってまいりました。

やはりゆったりしているという条件が「一度リセットする」という意味合いでどうしても必要なようではありますが、ゆったりだけすれば、これは確実に人間がダメになる。

やりたいなと思っても堕落の誘惑が襲ってくるものです。(みなさん自分のやりたいことを「時間ができたり休みが取れたりしたら、まず疲れを癒してその延長でやろう」と思うかもしれませんけれども、これがなかなか人間の心は弱いものです。休みがたくさんあると「疲れを癒して」というのが永遠に続くと、これは身をもって言えます・・)

それらをトータルで考えると、「丁寧に生きる」とはゆったりしている中でも自分がやりたいと決めたことを一つずつこなしていくことだと思うようになりました。

「やりたいこと」とは別に人生の目標のような壮大なものではなくて、こういうご飯が食べたいとか、映画が見たいとか、アロマを焚いてみたいとか、そういうことも全て含めてです。

自分の行動を自分で決める、そしてそれを着実に実行に移すと、言ってみれば「実行力」に通ずるところがあるのかもしれません。

春休み、とはなかなかいかないかもしれませんけれども、コロナ禍で自粛、あるいはテレワークで移動時間が空く方もいらっしゃるかもしれません。

経済的な不安、あるいはその他気がかりなことは多々あるとは思いますけれども、丁寧な生活という、心が満たされる不思議な感覚を得る一つのチャンスとしての見方もあると思うのです。

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