献血での感覚。

親愛なるあなたへ

献血と言えば、穴が見える太い針を血管に刺すという真のマゾヒズムにのみに許される特権なのでありますが、やったことない人から見ると「なんであんなに痛いことをわざわざするの?」という感覚になるのはこれはもうごもっともである、と。

特に、私も過去の検査のトラウマから痛みに関しては極度に弱いのですが、それでもマゾ的行為に恍惚を覚えるのはひとえに「人様の役に立ってる」という実感ゆえであります。

これを今日、知り合いの先生に話しましたところ、その先生は献血を受けたことがないらしく、「受付の人や看護師さんがすごく感謝をしてくれるのですか?」と言われたのでハッとしたのですが、そういえば「ありがとうございました」とお店の挨拶よろしくお礼は言われるのですけれども、特にそういうものでもないなと。

痛くても、自分の体の一部を捧げるという行為であっても、そしてたとえ感謝の言葉がなくても満足するという感覚、それが幸せな貢献感なのだろう、と。

血液はその後の検査で場合によっては破棄になってしまうこともあるそうですけれども、それでもこの幸せな貢献感であると。

結局、「貢献感は主観的なものでいい」、とこれは名著「嫌われる勇気」(著:岸見一郎、古賀史健)で述べられていることでありますが、本当にその通りで、いつぞやわたくしもマネゴトで書いた「本当に貢献していると思い込めるときは周りの評価にいたって鈍感」という、これが真実に間違いないという確信を久々に得た出来事でありました。

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